【学習センター機関誌から】ジレンマで考える倫理学(続々々)

~「ジレンマで考える倫理学」の(続)編は機関紙124号、(続々)編は機関紙125号 をご参照ください~

北海道学習センター所長 新田 孝彦 

“To be, or not to be: that is the question.”という『ハムレット』のセリフはどなたもご存じのことかと思います。
これには40種類ほどの日本語訳があるとのことですが、『ワーグマン日本素描集』(岩波文庫、1987年)には、1873(明治6)年頃に上演されたと思われる舞台を描いた絵が収められています。
腰に刀を差し、腕組みした右手を頬に当てて悩んでいる様子の若侍が立っており、その下に“Arimas, arimasen, are wa nan deska”と記されていますので、確かにこのシーンです。初学者の逐語訳としてはいかにもアリそうな訳ですが、はたしてこれでハムレットの悩みは当時の日本人に伝わったのでしょうか。

このセリフをたんに「生きるべきか死ぬべきか」という趣旨で理解したのでは不十分かもしれません。
少なくともハムレットは「死は恐ろしくはない」と言っていますので、父親を殺し母親を籠絡した現国王の叔父に果敢に立ち向かって死ぬことそれ自体をためらっているのではなさそうです。
ハムレットにとって恐ろしいのは、死後の世界が「未知の国」だということです。一方で現状を受け入れ(to be)、「暴虐な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶならば、つらい人生が待っている」。
だが他方で一矢を報い(not to be)、「敢然と戦って死ぬならば、死後の世界は未知の国であり恐ろしい」。つらい人生を選ぶか、未知の死後の世界を受け入れる恐ろしさに耐えるか、これがハムレットの直面したジレンマでした。
魂の不滅というドグマを信じていればこその悩みです。

しかし、同じく魂の不滅を信じていたソクラテスによれば、現に生きている者の中で死を経験し、死を知っている者は誰もいないのに死を恐れるのは、よく知らないことを知っていると思い込む「無知」の極みに他なりません。
未知のものを思い煩うよりは、生きているかぎりは「魂をできるだけよいものにするよう配慮すること」の方がよほど大切なのです。


ところで、ある女優がパーティーで知り合った老作家に、「私たちが結婚すれば私の美貌とあなたの頭脳を兼ね備えたすばらしい子供が生まれますね」と言ったところ、老作家は「私の容貌とあなたの頭脳をもった子供を想像してみてください」と返したという(今から見ればジェンダー・バイアスの掛かった)小話があります。
かつてはこの女優の願望をかなえるのは「賭け」のようなものでしたが、近年のゲノム編集技術の進展は、重度の遺伝性疾患のいくつかを克服しつつあるだけではなく(これは確かに福音でしょう)、やがて身体的能力や知的能力に関して好みの子供(デザイナー・ベビー)を設けることを可能にするかもしれません。

格差社会の中で一部の子供たちの未来を拓くことは、他の子供たちの未来を閉ざすことにつながるという反対意見も根強くある中で、「子供は開かれた未来に対する権利をもつ」として全面的に賛同する意見もあります。
ソクラテスならば、身体や知能だけではなく「魂をすぐれたものにするためのデザイン」も当然セットで考えていますよね、と皮肉の一つも飛ばすところでしょうが、皆さんはどう思いますか。


 

北海道学習センター機関誌「てんとう虫」第126号より

公開日 2022-03-18  最終更新日 2022-11-01

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