【学習センター機関誌から】コロナ禍における人への「思いやり」を考える

徳島学習センター客員教授
岸田佐智

(本記事は2021年7月に掲載されたものです)

初めまして、今年度より客員教授に就任いたしました岸田佐智と申します。雄西智恵美先生の後任に看護学を専門とする教員が必要ということで、お引き受けいたしました。専門は?と聞かれると、看護学なのか、母性看護学とするべきか、不妊症看護か、虐待予防か、女性の健康かと、いろいろと悩みます。看護とは何でしょうか。

突然ですが、遅まきながら「鬼滅の刃」を読破いたしました。この漫画がこれほどまでに、皆さんに読まれる理由について、多くの人が分析していますが、私は一つ「思いやり」について考えました。この本は単純に解釈すると、鬼と人間の戦いで、悪である鬼を成長しながら仲間とともに退治していく話です。当然、その中で鬼や仲間が亡くなっていくわけですが、その過程で必ず、その人や鬼の生きざまに目を向け、このような生き方をせざるを得なかった背景を理解し、冥福を祈ります。この時、他者の身の上や心情に心を配り、さらなる(今後の)幸福を祈ることに共感する方が多かったため、これほどまでにヒットしたのではないでしょうか。

看護を考える場合に、人を「思いやる」ということは重要です。フローレンス・ナイチンゲールの看護覚え書を見ると、看護とは、体内の回復過程を促進させること(自然治癒力の強化)であり、生命力を消耗させることは看護でないと述べています。この自然治癒力を促進するためにケア(世話・看護)を実施するには、他者の身の上や心情に思いをはせる「思いやり」がなくては自然の治癒力を増進させることは困難です。今、その人はどのような環境下に置かれており、どのような状況にあるのかを考えることができる力がまずないと看護を提供することはできません。

D.W ウィニコットは、乳幼児期に母親からの適切な養育的行動があることで、子どもが基本的にもっていた罪悪感から「思いやり」の意識が芽生え・発達すると論じています。つまり他者を思いやるためには、子ども自身が母親(養育者)からの思いやられた母性的行動が必要不可欠といいます。この思いやる行動が十分に発達するために、母親の存在と適切な養育環境が必須ということです。

このように考えていくと、コロナ禍であるからこそ、人への「思いやり」が求められているのではないでしょうか? どのような「思いやり」が求められているのでしょう。まず、他者に感染させないこと、自分が感染しないということでしょう。そのための行動は、どうあるべきか。このことは、何も今回のような新しい感染症だからといって、新しい行動が必要となるわけではありません。

確かに新型コロナウイルスの正体(これは医学の視点で解明されているでしょうし、)感染経路(まだ不十分な点もあるかもしれませんが、感染経路というのは、空気感染、飛沫感染、接触感染等)を明確にするということが必要でしょう。しかし、看護の視点から考えると、病気の原因がわかり、その予防法がわかれば、実践できるのではないでしょうか?

人を思いやることで、その人の自然治癒力を高めることができます。そのための行動、これこそが看護であり、新鮮な空気、入浴(適切な温度でのお風呂)、清潔な衣類(布団寝具)、騒音を避ける、適切な食事、適切な運動(遊び)、日の光など、環境を適切に整えることと言われます。他者の立場になって考えることができ、他者が必要としていることを提供できることが、思いやりをもった行動と考えられます。自分の思い、欲求だけでは思いやりは育っていかず、看護であることを提供できないでしょう。

コロナ禍において、人への「思いやり」のための行動を皆さんはとっていますか? これは、まず、自分を思いやり、ケアすることから始まります。一人一人が自分を思いやり、ケアすることで、他者への思いやりを考えることができるようになり、それは社会全体の思いやりとコロナ禍を生き抜く力に繋がっていると信じています。


(徳島学習センター機関誌『よしの川』第91号、2021年7月発行より)

機関誌『よしの川』バックナンバーはこちらから
https://www.sc.ouj.ac.jp/center/tokushima/about/magazine.html

公開日 2022-07-15  最終更新日 2022-08-01

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