滋賀学習センター所長 平井 肇
アジアの町をぶらぶら歩いていると、人々の暮らしぶりや意外な街の姿が垣間見えたりして、驚くことが多々あります。朝夕の涼しい時間に歩くことが多いのですが、旅行者にはのんびりできる一時でも、地元の 人にとっては忙しい時間帯です。
ひとつの大きな塊となって疾走するバイクの一団。交差点でのクラクションの大合唱。香辛料や乾物のにおいでむせかえる市場。大音響で「乙女の祈り」のメロディーを流しながら作業中のゴミ収集車。屋台で氷入りのビールを片手に話に忙しいおじさんたち。熱気と湿気も加わって息苦しいくらいですが、活気が伝わってきます。そんな中で、まるで都会のオアシスのようにほっとする場所があります。それは、緑の木立に囲まれた公園や川辺の緑地帯です。
台湾の台北に、大安森林公園という名の公園があります。ビルの谷間に囲まれた緑の空間で、東京ドーム 6個分ほどの広さです。一見どこにでもある公園のようですが、ここに集う人たちを「観察」していると、いろいろ興味深いシーンに出会います。
台湾固有の植物が生い茂る公園内には、子供用の遊具や施設の他にも、大人の利用を想定した健康器具や施設も多数あります。ストレッチ体操用の器具やちょっとした運動ができるスペース。丸い小石が敷き詰められている「足つぼ小道」やリハビリ用の手すりがついている小道。芝生の広場の真ん中に、ちょうど陽よけになるような大木や東屋もあります。
ここに集う人たちの行動もかなりユニークです。広場で太極拳をする一団に木陰で一人瞑想にふける人。ステージでカラオケに興じるおばちゃんたちや社交ダンスを楽しむ老カップル。石のベンチに座って将棋を指しているおっちゃんたち。スケートボードに興じる子どもたちの脇を颯爽と走り抜ける若者。
おもちゃ箱をひっくり返したような光景を想像しがちですが、実はそれほどでもないのです。それぞれが独立した空間でお互いに干渉することもなく存在し、不思議と調和がとれているのです。すべてのシーンがこの公園に溶け込んでいて、時間がゆったりと流れて実に穏やかな雰囲気なのです。眺めている私までもが、 ほっとした気分になります。
台湾や東南アジアの至る所で目にする光景ですが、欧米の公園で運動する人の様子は少し違うように感じます。ちょっと大胆な仮説(エビデンスのない思いつき)ですが、東洋と西洋の身体観の違いが、この公園に集う人たちの行動にも現れているような気がします。大雑把ですが、西洋では運動をするということは体を鍛えるとか、誰か(何か)と競う要素が強いのに対して、東洋ではおそらく中国の伝統的な身体観との関係もあって、運動には体を整える要素が強いのではないでしょうか。
激しく肉体を動かすよりは、発声や呼吸、歩行やスローな動きで体のいろいろな部分の機能を高めることや、心の平安を保つことに意義を見いだしているのではないでしょうか。ヨーロッパ生まれの近代スポーツでは、他者と競い合うことで得られる楽しさが重要な要素です。一方、中国の伝統的な身体観においては、他者と競いあうことはあまり重視させていなかったような気がします。
そんなアジアの公園にも変化を感じます。老若男女を問わず、いわゆる西洋のレジャー・レクリエーション系のものが確実に増えています。スケートボードに興じる若者や、マウンテンバイクで走り回る子供。エアロビクス・ダンスで汗を流す女性グループや、スマート・ウオッチを眺めながらジョギングをする高齢者。そこには鍛える、競う、高めるといった要素が強くなっているような気がします。
グローバルな時代、国や地域に関係なく人々が行き来し、モノや情報も行き交う時代です。私たちの身体観、つまり体を動かすことの意味やそこに求める楽しさの質も徐々に変わってきていて、これからも変わってゆくのでしょう。しかし、個人的には、大安森林公園でみた光景がこれからも続いてくのではないか、続いていってほしいと思います。コロナ禍が収まって、アジアの街歩きを再開したいと願う今日このごろです。
滋賀学習センター機関誌「樹滴」第 118号より
公開日 2021-06-23 最終更新日 2022-11-08