【学習センター機関誌から】100分の1ミリの小宇宙

放送大学熊本学習センター所長 谷 時雄

 

蛍光 in situ hybridization と呼ばれる手法で染めたヒト培養細胞内のRNA(緑色)。青色の部分は別の色素で染めた細胞の核で、大きさは100分の1ミリ程度である。

 

「お〜、きれい!」。
分厚いカーテンを閉じた真っ暗な実験室で、RNAを染めたヒト子宮頸部癌由来の培養細胞を蛍光顕微鏡で覗く。夕暮れの川面を飛び交う蛍のように、点々と緑色に輝くRNA蛍光画像の美しさに、思わず、はずんだ声が出てしまう。まるで、夜空に浮かぶ満天の星のよう。小さな、小さな細胞の核。その中で、RNAがきらきらと輝く。私の郷里は、中国山地の寂れた山里にあるので、派手なネオンサインもなく、天気の良い晴れた夜には、手を伸ばせば届きそうな、天の川と流星を見ることができる。そこで見る、遙か何万光年の彼方でひかり輝く星雲群に負けず劣らず、蛍光顕微鏡の下で観察するRNAやタンパク質の蛍光画像は、本当に美しく、魅惑的である。

私の専門分野は、分子生物学で、特にRNAの新しい機能について長年研究をしてきた。RNAは、遺伝子の化学的本体であるDNAから遺伝情報を写し取り、タンパク質を合成する鋳型となることが、高校の教科書に書かれている。実は、そういった昔から知られている機能に加えて、RNAとして細胞内の様々な反応を制御する役割があることが次々に明らかになっている。例えば、染色体の分離を制御するRNAや、酵素的な触媒活性を持つRNAが見つかり、その役割は極めて多様である。特に核の中に存在する多くのRNAは一部を除いて充分に解明されておらず魅力的である。

一つのことが分かると、更に謎が謎をよび、また分からないことが増えてくる。実は、RNAはDNAと共に、遙か遠い昔およそ40億年前に、地球上に生命が誕生する頃から、とても大きな役割を果たしている。私の43年を超える研究生活でも、RNAの謎は深く、その全容は未だ解明できていない。RNAが造られる細胞の核は、大きさが100分の1ミリ(10ミクロン)程度なのだが、その中は、沢山の謎に包まれた小宇宙なのだった。遺伝情報を自由に改変できるゲノム編集など、人類は生命を操る技術を次々に手に入れつつある。しかし、一方で、コロナウイルスの世界的な感染拡大(パンデミック)でもわかるように、生命科学分野には未だにわかっていないことも実は多く、郷里の光り輝く満天の星々の下で感じるように、研究が進めば進むほど、生命、自然の神秘さと奥深さの前に、畏怖感と共に、いつも謙虚にならざるを得ないのである。


熊本学習センター機関誌「きんぽう」第99号 (2023年4月発行)より

公開日 2023-07-21  最終更新日 2023-07-21

関連記事
インターネットで
資料請求も出願もできます!