【学習センター機関誌から】「学生の放送大学での研究」

富山学習センター所長
門脇 真

一般的に大学教育においては、最初の1年半から2年程は「一般教育」あるいは「教養教育」(放送大学が教養学部で行っている教養教育、リベラル・アーツとは違います)と呼ばれる、大学に相応しい広範かつ高度な知識の習得や語学教育等に充てられている。その後、専門基礎教育、専門教育が始まり、3 年生の後半頃から学生たちは、理工系や医薬系などでは卒業研究のため各研究室に配属され、人文社会系では各教員のゼミナールに参加するようになり、少人数教育が始まる。私は薬学が専門であるので実験系の研究室を主宰しており、そこに毎年12月頃から3年生が参画するようになる。


ここで多くの学生たちは大きな壁に直面する。学生たちは、生まれてからずっと幼稚園、小学校、中学校、高校、そして大学と、テストや入試等で、「いかに早く正確に解答を導き出すか」が、その個人を評価する指標であり、それがその学生の能力、学力と称されてきた。すなわち、「正解のある知」をずっと求められ続けてきたし、そのために努力もしてきている。ところが、研究室に入った途端、学生たちは「正解のない世界、正解を誰も知らない世界」に入り込むわけで、真面目な学生ほど大きな戸惑いを感じるようである。

研究というのは、誰かがこれまでにやった実験をもう一度繰り返すという実習とは大きく異なり、誰もやったことのない実験をする、だれも証明したことがない実験をするという事を意味する。今まで世界中の誰も見た事のない現象を観察する事、誰も発見、発明した事のない事を世界で初めて見出す事は、非常にダイナミックで、心躍る出来事であり、これこそが研究の醍醐味である。

しかし、これは多くの学生にとって生まれて初めての経験である。効率的に「早く正解を導き出す」技術を修得する世界から、この「正解のない、誰も知らない」未踏の世界への変化に学生たちは戸惑うが、それを乗り越えるキーワードは、ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎博士も言っていた「知的好奇心」であると思う。

放送大学の学生たちも、学部での卒業研究、修士課程での研究、博士課程での研究など放送大学で研究を行う機会があり、その相談も受けている。どんな研究をしたらよいのか、何を目的にしたらよいのか、そのためにはどの様に研究したらよいのかなど、多くは研究を始める、その第一歩目の相談である。これまで経験がないのだから、戸惑うのは当然と思いながら、先ずはお話を聞かせて頂く。

そして殆どの相談には「知りたい」という知的欲求と好奇心が感じられるため、まだ「ぼんやり」としている、今、自分が「何を知りたいのか」、「何をしたいのか」を文章化して明確にする作業を行い、その後、それは「今まで誰も明らかにした事がない」事なのかを調査して、それらがはっきりすれば、研究を開始している。「正解のない問いに満ちた世界」は苦しいが、自分が「何をしたいか」を常に見つめ続けられれば、乗り越えられると思う。


しかし、学生時代の研究の経験がそのまま社会で役立つわけではない。社会に出ればそれまで以上の「正解のない問いに満ちた世界」で、もがき苦しむ場合が多い。それらの正解のない課題に直面した時、それまでの知識、経験等を総動員して、科学的に論理的に合理的に対応を探っていく。その科学的な論理的思考能力を大学での研究で鍛錬し身に付ける、それこそが放送大学での研究の大きな意義であると思っている。


(富山学習センター機関誌『たんぽぽ』116号,2021年10月発行)

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