【学習センター機関誌から】対話と(の)哲学

三重学習センター客員准教授
三重県立看護大学看護学部准教授
安部 彰
(専門分野:哲学・倫理学)

もしかするとみなさんの「哲学者」のイメージはこのようなものではありませんか。たとえば薄暗い部屋で独り哲学書と格闘しつつ黙考・呻吟している、とのようなイメージ。

この哲学者像は、概ね間違っていません。しかしその一方で、他者との「対話」もまた、哲学における問題探求方法であるということはご存じでしたか。

「対話」という方法を哲学に導入したのは古代ギリシアの哲学者ソクラテスです。かれが実践した対話はこんにちでは「問答法 dialectic」という名で知られていますが、とはいえそれはおそらく多くの人にとっては非日常的なコミュニケーションに属します。まず、その出発点には自己の信念への懐疑があります。というのも「なにが真理かを知らない」からこそ、私たちは他者との対話へと開かれうるからです。また問答法の目的は、私たちの信念(正しいと信じていること)の確からしさを吟味することです。そしてそのためには、「問」いかけと応「答」の相互交換を基調とする対話というコミュニケーションスタイルがふさわしい――このようにソクラテスはかんがえたわけです。

しかしソクラテス以後、対話哲学は順調に発展していったわけではありません。哲学が大学の教科に編入されていく過程で、しだいに文献読解を中心とする方法へと変容していったからです。またそれにともない「哲学は専門家(研究者)がとりくむ学問である」とのイメージも世間にひろがっていきました。このイメージは、本エッセイの冒頭でもみたように、現代までつづくものです。

しかし20世紀を迎えると、フランスを起点として、対話哲学を復権しようとする動きができてきます。そしてこの潮流は、人々が専門家の手から哲学をとり戻す、「哲学の民主化」のプロセスという意味あいももっていました。こんにち日本全国各地で実施されている「哲学カフェ」と銘打たれたイベントもまた、この流れを汲むものです。

では現代に復興した哲学対話は、どのようなものでしょうか。「信念の吟味が目的」との哲学観は変化していません。しかし対話の作法は、かつてより洗練されたものになっています。

そのあらわれのひとつが、「対話には個人として参加しなければならない」というルールです。ここでいう「個人として対話する」とは、「親としてかんがえる」などのような、役割に規定された思考から離れて相手と向き合うことを意味しています。そしてその意義は、対話における参加者の関心を「どんな人物(地位・属性)か」ではなく、各自の「発言」に向かわせる点にあります。また「他人の意見をていねいに聴かねばならない」というルールも重要です。ふつう対話では発信力が重視されがちです。しかし、よりよく発信するために、むしろ不可欠となるのは受信力です。

かくして、互いに個人として発言しつつ、相手の意見を傾聴する。こうした姿勢こそ、哲学対話を実りあるものとしてくれる、というわけです。


(三重学習センター機関誌『ティータイム』第111号 2022年7月より)
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公開日 2022-09-16  最終更新日 2022-09-16

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