【学習センター機関誌から】共感と小説読書

三重学習センター客員教員
三重大学人文学部 准教授
田畠 健太郎
(専門分野:アメリカ文学)

人間は他者に「共感」せずにはいられない生き物です。

1990年代にいわゆる「ミラー・ニューロン」が発見されて以来、ヒトの脳には生まれつき共感の基盤となる神経回路が組み込まれていると考えられています。
他者が行動するのを見るだけで、自分がその行動をするのと同じ神経細胞が活発になるらしく、そのシミュレーション的な神経回路の働きで、私たちは相手の行動の裏にある意図や感情を共感的に理解できるそうです。

つまり、私たちはそうしようと思っていなくても、あるいはそうしないように気を付けていたとしても、他者を見るだけで自然と共感してしまう、生まれつき社会的な生き物らしいのです。

一方で、私たちは他者に共感することが困難な社会に生きています。
簡単な意図や感情を共有するだけでなく、相手に誠実に共感しようとすれば、その相手の個人的な性質や環境の要因(ジェンダーや性的指向、民族的・文化的背景、経済的事情、家族構成、趣味や関心、その時のその人の気分やムード、社会状況など)を十分に考慮するのが、21世紀に生きる私たちの条件でしょう。

ただ、よほど近しい他者でなくては――あるいはいくら近しくとも――そういった情報が前もって十分に与えられていることは極めて珍しく、しかも、もし仮にそういった情報が十全に与えられていたとしても、刻一刻と変わりゆく他者の内面をすっかり共感して理解した、と言い切れる人はいないのではないかと思います。
どうしたって他者に共感してしまう一方で、相手に十分に共感することは難しい ――これが共感という心理現象の複雑さであり面白いところでもあります。

さて、この共感という現象にとりたてて興味を持ったのが、今から100年ほど前の、20世紀初頭の哲学者たち、心理学者たち、美学者たち、そして小説家たちでした。

この時代の小説家たちの探求とその実践は、つとに「モダニズム」芸術の一環として説明されてきましたが、彼らが取り組んでいたのは、つまるところ、いかに読者が他者である登場人物の複雑な内面に入り込んでそれをそっくりそのまま混じり気なく経験できるかという問題、つまり読者の登場人物に対する共感現象でした。
その過程で「意識の流れ」や「内的独白」などの語りの技法を洗練させていったこのモダニズムの小説家たちは、現在の小説というものの基礎を作り上げました。
つまり、小説を読むとは深く細やかに共感することなのです。

ゆっくりと時間をかけて細やかに他者に共感することが難しいのが現代社会ですが、私たちは周りの人びとに共感することで社会的なつながりを作っていることも確かです。
コロナ禍で自然な共感をする機会が奪われて、ただでさえ難しい共感がより一層難しくなっている現在、小説をじっくり読んで、現代の実生活では味わえないほど深い共感に身を寄せてみたり、そもそも共感とは何かということに頭を巡らせてみたりすることにも意義があるのではないでしょうか。


(三重学習センター機関誌『ティータイム』第109 号、2022年1月より)

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公開日 2022-08-19  最終更新日 2022-09-06

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