【学習センター機関誌から】文章を書くということ(1)

広島学習センター所長 山田 隆

卒業研究の履修申請に先立って、履修希望学生との面談をすることになっている。彼らの 不安材料のひとつとして、「文章を書くのが苦手である」、「長文を書くことに慣れていない」といった問題があがる。実は、日常生活の中に文章を書く機会は沢山ある。例えば、スマホでメー ルを送ったり、手紙を書いたり、会合の案内を出したり、議事録を取ったり、回覧板の連絡事 項を書いたり、人によっては日記をつけたりしている。それでも、論文として「まとまった」形に書き上げるのが難しいという。

この問題は、放送大学の学生にとどまらず多くの人の頭をも悩ませている。その証拠に、ある大手の本屋をのぞいてみると、文章書きのハウツー本が書棚の2段分を占め、ざっと見て100冊は並んでいた。ためしに 2~3 冊を手に取ってページをめくってみた。 論理的なパラグラフ構成が大切、序論―本論―結論の在り方はこうあるべき、建てる家をイメージして骨格を準備する、手持ちの部品を骨格に合わせて組み立ててゆく云々が記されている。

はて、これではますます書きにくくなってしまうのではないか?これらの指南本を読破して、さあ始めましょうと立派な論文を仕上げた人が何人いるであろうか?小説家や評論家、ジャーナリストなど 文筆を職業としている人ならば、スラスラと思いを文字化して変幻自在に仕上げるのは朝飯前かもしれない。


それでも、問題のある人がいるらしい。太宰治や井上ひさしは極端な遅筆家として知られている。太宰は、語彙が貧弱だからペンが鈍る。言葉が正しいかどうか不安だからいちいち辞林を調べてから書く。これが遅筆の公然の口実であったという。一方、井上の場合は、とにかく立派なものを書かなくてはいけないというのが信条だったらしい。質が悪いものを出すくらいなら書かないほうが良い。大幅な遅れが出ても納得がいくまで推敲を重ね質の良いものしか出さない。その結果、いつも編集担当者は振り回されたという。



この二人の作家に「文章を書く」コツのようなものを見出すことができる。まず、太宰の例からは、事前の準備を周到にするということが思いつく。これから書こうとするテーマについて、関連事項をできるだけたくさん集めておくことである。文献を読み、大事な事項を断片的 でよいから記録しておく(文献と一緒に)。場合によっては、これら資料の適切な整理によって論文の骨格ができるかもしれない。井上の例は反面教師として利用できる。立派なものを書こうと身構えたら素人は立ちすくむしかない。机に向かって、ペンと紙、あるいはパソコン画面を前にして何時間も無為の時間を費やすことになる。とにかく、書くことである。断片的でもよいから書けるところからどんどん書いてゆく。書いているうちに筋道ができてくる。不明な部分や必要な部分は書いているうちに浮かんでくる。もちろん最後にまとめ上げる時点では、井上の言う十分な推敲が必要となる。


広島学習センター機関誌「往還ノート」239号より

公開日 2021-05-31  最終更新日 2022-11-08

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