【学習センター機関誌から】「わからない」ことからの学び





五十嵐 敦
放送大学 福島学習センター客員教授
福島大学 名誉教授
専攻分野 心理学(発達心理学・職業心理学)

世の中、「わからない」ことが多いです。でも、わかったようなことをいう人もたくさんいますね。
偏った情報や知識、情報過多の中で都合のよい、わかりやすいものに私たちは飛びついてしまいます。
「あのお店はおいしいよ!」と言われ、「本当かな?メニューは全部食べてみた?」などといっていると嫌われてしまいそうですね。

わかったつもりになると学ばなくなります。というか、わかるものやわかりやすいものだけを受け入れて、それまでの理解(と呼ぶかどうか)をより強固にし、わからないものを排除し、わかり合えないと戦争にまで発展します。
むしろ、わかったつもりになって敵と決めつけ、自分たちとは相いれないから戦う。
「わかる」というのは怖いものです。

以前ある件で、それまでの経過や当事者・関係者と直接のやり取りから「わからない」と発言しました。ところがソーシャルワーカーや臨床家などが、「それは家族、親子関係の…に起因した…」と決めつけたのです。
怖かったですね。
この人たちは、自分の専門(と言えるのか?)、あるいは聞きかじったり、たまたま読んだ本の情報から「わかった」つもりになって、他の要因を考慮したり異なる次元から検討することを放棄しています。
学びとは、そこにとどまることではなく、わからないことを前提に柔軟な目で検証、応用していく力ではないでしょうか。

学習センターで皆さんと学んでいくことは、「わからない」の連続です。
それでは無責任ですから、「わかる」範囲と視点からコメントし、「わからない」ことを一緒に考えたり教えていただいたりしています。一市民として素朴な疑問を発するようにしています(ゼミに参加されている方々、ゴメンナサイ、そしてアリガトウございます)。

批判的思考とは、「相手の発言に耳を傾け、証拠や論理、感情を的確に解釈すること、自分の考えに誤りや偏りがないかを振り返ること」とされています(これも本当かどうか調べてみましょう…)。
批判的思考は、市民としての生活に必要なコミュニケーション能力を支え、良き市民になるために大切なことのようです。しかし、私たちは学んでから生きているわけではありませんね。
生活しながら学んでいます。

遠い昔に聞いたソクラテスの「無知の知」ということでしょうか。
デューイの「省察的思考…深遠や知識を、それを支えている根拠とそこから導き出される結論に照らして、能動的、持続的、慎重に考慮する思考」など、何を言っているのかよくわかりませんが、批判的思考の態度は科学リテラシーを高め、病気や食生活の知識を高めます。
結果として病気への適応を高めていた(楠見ら、2009)という報告もあるので、筆者も自分の勉強不足を棚に上げ、「わからない」を駆使して学んでいきたいと思います。
と、わかったようなことを書いてしまいましたか?

本年もよろしくお願いいたします。


福島学習センター機関誌「もみじ」104号(2024年1月発行)より掲載

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