【学習センター機関誌から】『学ぶとは何か』に思うこと

秋田学習センター 所長
倉林 徹

 

 人は『学ぶとは何か』について、その人の年代や置かれた環境による違いはあるかもしれないが、常に考えている生き物なのではないかと思っています。私はここ数年は、日曜日の夜の NHK 大河ドラマを観るのを楽しみにしています。その中で武将たちが、重臣や軍師達とどのように現状分析し、かつての敵とも人間関係を構築し、策略を練り、自らの命を賭して実践し生き抜いたというストーリーを、多少の脚色はあるものの史実をつなぎながら作り上げているところが面白いと思っています。
 大河ドラマの武将達は、幼少期から多角的に学び、武術はもとより、情報分析力、構想力、決断力、コミュニケーション力、リーダーシップ力などを身につけていたものと思われます。この学びは、大なり小なり、現代を生きる我々にも手本となるものがあるのではないかと思います。

 私自身の『学ぶとは何か』について、私の経験に基づき得た教訓を紹介させていただきます。私の専攻は大学入学から大学院修了、研究所勤務とその後数カ所の大学勤務を通じて『工学』です。学生の皆様には少々縁遠い分野かもしれません。放送大学の授業科目の中から工学の文字を探し出すのは困難です。しかし、工学のベースは数学、物理学、化学、および生物学等にありますので、放送大学で学ぶ多くの科目に私は親しみを覚えます。

 私の大学~大学院時代の恩師である西澤潤一先生(2018年没、東北大学総長、岩手県立大学学長、首都大学東京学長)から教わった教訓を今でも『学びの指標』としております。それは、工学の『工』という文字は、上の横棒は『天の理』を表し、下の横棒が『地の人』を表し、縦の棒がそれらをつないで成り立っているというものです。

 学生の頃は聞いてもピンと来ませんでしたが、わかりやすく言うと、天の理(サイエンス)を駆使し、人の生活の恩恵につなげる学問が工学だということです。これは工学を学ぶ者の指標になる、と実感したのは私が50歳を過ぎた頃です。出典は残念ながら不明ですが、恩師が当時「中国人から褒められた」と言ったのを記憶しておりますので、故事成語などではないものと推察されます。

 50歳を過ぎた頃から私は大学の新学期の初めの授業で、理工系の学生達にこの話をしてきました。近年、工学はますます細分化・複雑化していく中にあって、その学問に没頭していく学生達に、サイエンスに立ち戻り、人の世に恩恵をもたらすために技術者として尽力するという、『学びの道標』の一つとしてもらえればという思いを込めております。

 学問分野により『学ぶとは何か』は形を変えますが、まずはご自身の『学びの指標』を探してみてはいかがでしょうか。さらにその指標を、学びの隣人達と意見交換できたら、新たな指標を見つけることにつながるかもしれません。学生の皆様には、学ぶ意欲を継続し、学びの結果を何らかの形で社会に還元されることを期待して、「ばっけ108号」の巻頭言と致します。


秋田学習センター機関誌「ばっけ」第108号(発行 令和6年1月)より転載

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