野村 鮎子
放送大学奈良学習センター所長

7月中旬、寧夏師範大学創立50周年記念の学術シンポジウムに招かれ、寧夏回族自治区の固原というところを訪れました。寧夏回族自治区は回族(中国語を話すムスリム)が多く住んでいるところです。省都は銀川で、固原はその350㎞南にあります。固原には高速鉄道(新幹線)の駅がないので、西安から隔日で運行されている飛行機に乗るしかありません。私はまず関空から上海に飛んで、上海の空港ホテルで一泊し、翌日西安に飛び、さらに飛行機を乗り継いで、ようやく固原に到着、無事に師範大学からの出迎えの人と合流した時には心底ほっとしました。
固原の空港は六盤山空港といいます。実は中国の人には固原より六盤山という名の方が有名です。なぜならば毛沢東が1935年に長征(紅軍による瑞金から延安まで1万2500㎞の行軍)の途上、この地で詠じた詞「清平楽・六盤山」の中の「不到長城非好漢(長城に登らなければ男じゃない)」という句が人口に膾炙しているからです。日本でも中国語を学んだことのある人は、テキストなどで一度はこの言葉を耳にしたことがあるはずです。写真1は固原の目抜き通りにある長征のモニュメントと「不到長城非好漢」の句です。

日本からはるばる来た外国人研究者だというので、ホテルでの休憩もそこそこに、師範大学の先生が自ら車を運転し、固原の案内に連れていってくれました。唐代、長安からシルクロードに至る玄関口だったこの地は、唐詩に詠じられた蕭関や、シルクロードとの交易品を多く蔵する固原博物館など、見所が満載です。それぞれかなり離れているのですが、ここは西にあるため、8時になってもなかなか日が落ちず、半日で多くの所を回ることができました。訪れたところで最も感動したのが、最後に訪れた戦国秦の長城です。
上述の「不到長城非好漢」は、中国語のテキストでは「万里の長城」として北京郊外の八達嶺の挿絵が載っていることが多いので、日本人は長城といえば階段の続く八達嶺をイメージしているかもしれませんが、あれは明代のものです。毛沢東の詞に出てくる長城とは、戦国時代の秦(秦の始皇帝よりも前の時代、BC3世紀)に、異民族の侵入を防ぐために、版築(日本の土塀を作る工法)で作られたものです。
固原の北にはこの長城が幾重にも張り巡らされています。観光化されていないため、入り口に標識があるわけではなく、案内図もありません。地元の人でもどこから入れば登りやすいのか、知る人は少ないとのことです。そもそも下からみるとただの丘陵か河川の土手にしかみえず、登ってみて初めてここが長城の遺構だとわかるのです。急な斜面を這いつくばって登ってみると長城の尾根道がかなたに続いており、行けども行けどもきりがありません。写真2のようにその一部は段々畑として開墾されていました。

固原は海抜1,000m以上にあり、日差しは強いのですが、空気が乾燥していて汗をかきません。空は真っ青です。延々と続く長城を前に、かつてここは異民族と漢族の攻防の最前線だったことを実感しました。
あっ、向こうから羊飼いが羊の群れを連れてこちらに来ます。牧羊犬もいるようです(写真3)。ちなみに学会中に出された食事はすべて小麦粉や羊肉または牛肉料理でした。

交通のアクセスがよくないため中国の国内観光ブームから取り残された感のある固原ですが、静かで、遠方からきた研究者を熱烈にもてなしてくれました。そういえば、近年中国のどこの町でもみかけるマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキン、スターバックスの看板を一度も見かけませんでした。
奈良学習センター機関誌「芳藻(ほうそう)」第128号(2025年9月発行)より掲載


