【学習センター機関誌から】ことば言葉-ことのは

谷本 潤
放送大学福岡学習センター 客員教授
九州大学大学院総合理工学研究院 教授
(専門分野:社会物理学、人間-環境-社会システム学、
建築物理学、都市気候学、応用数理学)

人に自分の専門を説明するのに恋愛小説ですと言っている。勿論、掴みでカマすジョークで。
真面目な専門としては社会物理学、応用数理科学をやっている(ことになっている)。冗談とは言ったけれど、小説も書いている。これも真面目に。

で、昨今の言葉にまつわる軋轢に心を痛めている。WBCで随分盛り上がったが、投手に比して捕手を「女房役」と呼びならわしている。
これが怪しからんとのハナシになっているらしい。う~ん。皆さんはどうお考えですか?

以下、余談。
大和言葉における「さかな」は主食に対して副食物一般を意味した。元来、限定的に魚だけを指し示すよりも広い意味を持っていたわけだ。「酒肴」の表記にその痕跡をとどめている。
英語の”man”も同様である。インドヨーロッパ語のオリジンというべき梵語(サンスクリット)のmind―精神―に原意を求める説もあるようで、元来はものを思惟し呼吸する主体である人間一般を表した。”human”にその跡をとどめる。

ところが11世紀頃から英語にもとあった男性を指す”wer”を駆逐し、”man”が取って代わるようになる。性差による社会的役割分担が、元々、sex-neutralだった語意に偏りをもたらしたわけだ。
世のジェンダーの風だろうが、”key man”や”fireman”は夫々それぞれ”key person”、”fire fighter”と書き改められる。放送禁止用語とは云わぬが、国際会議では”chairman”は御法度で、単に”chair”とするか”chair person”と慌てて言い直すこと一再でない。

言霊の信奉者としては、差別語の場合もそうだが、宗教的禁忌のようにして何もかも全てを一律パージするとの態度が、元々あった言語表現に制約をうみはしないかと独りごちている。
神さまには、我らの営みが、人間さまのよって立つ基盤であろう言葉の豊穣さを自ら縛り、余裕なく左見右見とみこうみ、右往左往しているように映ってはいまいか。言葉も含め文化とは、もっと豊かでひろやかな、そしてユーモラスなものだと思うけれど。

“testimony”(証言)との法廷用語は、もとはラテン語の”testculi”(小さな証言者)から来たらしいが、のちに睾丸(testicle)との語彙を派生させた。
これは中世の裁判で男が証言台に立つ際、その象徴たる部分に手をあてて、ここにかけて真実を申し述べることを誓ったからだという―どっかの国の大統領就任宣誓式が聖書に手を置いて厳かに執り行われるのからすると、いかにも間抜けな図だ。

だからというわけで、testimonyはけしからん、とまたぞろ言葉狩りにった。その「どっかの国」で。
その折り、じゃあovarimonyにでも変えたら、と云うのが男性側の反論だった由。やはり言葉はユーモラスでなければならない。謂うまでもなく、ovaryは卵巣の意である。


福岡学習センター機関誌「おっしょい」第62号(2023年7月)より

公開日 2023-09-22  最終更新日 2023-09-22

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