【学習センター機関誌から】人々が生きた現実への眼差しを

浜松サテライトスペース 客員教授
荒川章二
人間文化研究機構国立歴史民俗博物館 特任教授
静岡大学・国立歴史民俗博物館 名誉教授
(専門分野:日本近現代史、軍事史)

退職後取り組んできた近代軍事史の著作がもう一息という段階で、突然古巣の国立歴史民俗博物館から展示構想設計への参加要請が来た。30年に一度程度行われる常設展示の大リニューアルであり、館内研究部教員だけでなく、各大学・研究所など館外研究者の広い支援を受ける。
昨年夏頃から対面やオンラインでの会議がにわかに増え、コロナ感染が下火の時期には、各地史料館・博物館への資料調査に走る。おかげで、著作執筆用資料はほこりをかぶり始め、出版社には顔を向けられないことに・・・。

しかし、歴史展示を作る仕事は、専門書執筆とは異なる角度から、歴史への窓を見つめる機会をも与えてくれる。
1月初めの寒波到来の中、私は新潟市近郊の蒲原平野で、大正末から昭和初めにこの地域で起こった小作争議の調査をしていた。
訪問した資料館には、この付近の村の小作争議資料が、大きめの段ボール5箱ほど、大切に保管されていた。

小作争議といえば、集会やデモ、警官隊との衝突を思い起こすかもしれないが、この地の農民組合の基本文書は、組合結成(約500人程度)の目的として、投下した資本と労力に見合う収入が得られることと同時に、農村生活にも、豊かさ・面白さ、知的・文化的欲求を満たす状況を作る必要があり、好奇心旺盛な若者の満足こそが、農村青年が都会に移住し、農村が老人と子供だけの居住地となることを防ぐ道であり、農村生活に希望をつくることは、国家社会の土台を堅実にすることにも繋がると記す。

現に、小作農民たちは、農民生活の現実や欲求とかけ離れた村の小学校教育から離れ、独自に、500人の農民子弟が通う農民学校を自力で建設し、各地から小学校教師や大学生が参じた。

国家的義務教育への挑戦であり、文部省は決して認めなかったが、高等小学校まで視野を広げた教授科目の構想には、国語や数学、地理・歴史だけでなく、物理・化学・博物、英語、さらに農業関係で作物学や土壌学、肥料学、畜産学などの修業も目指されていた(社会教育の場としての図書館も併置)。

また、女性に対しては、東京から講師を呼び、当時の農村では珍しい毛糸などの編物講習会を開いて好奇心、生活文化欲求に応え(農閑期の内職技術としても活きる)、学習経験は、女性が求める補習教育や託児所・母子保健衛生への関心を刺激した。

裁判闘争を含む長い小作争議を支えたのは、地域社会改造を通じた結集力であった。
収蔵文書には地主たちの文書もあり、対立する地主たちも、彼らの立場からの農村生活・農家経営の改善を考えていたことが読み取れる。
地主が一方的な力を持った明治の農村の状況から、小作人が集団として農村の社会秩序に対抗し、住民多数の参加のもとで種々の選択肢を競う状況に変わったこと、これが「大正デモクラシー」と称される時代の基底にあったのだと、資料を読みながら改めて思う。

放送大学の学習は、多くの大学教育と同様に学説や構造などをまとめたテキストを理解することが中心である。
それは重要な学習過程だが、同時に、テキストの世界と現実世界における具体的事象との往還が学びの質を豊かにするのだと思う。

私にとっては歴史資料が生きた現実に接近する手がかりだが、みなさんも、各様に社会を考える具体的手がかりを大切にして、自らが学ぶ学問分野を一歩ずつ鍛錬してください。


静岡学習センター・浜松サテライトスペース機関誌「燈」(ともしび)118号(2022年4月1日発行)より

公開日 2023-03-17  最終更新日 2023-03-17

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