【学習センター機関誌から】建物所有者はデザインに責任を負うのか?

放送大学東京渋谷学習センター客員教授 奥田 進一

※ 奥田先生は2022年3月で任期満了となりました。 

2017年4月から5年にわたり東京渋谷学習センターの客員教授を務めました。
お陰様で、渋谷の街の再開発事業を定期的に定点観測する貴重な機会に恵まれました。
本センターの建築学がご専門の先生による「特別講義」もあり、伸び行くビルのデザインのなかから、設計者の個性や思想を素人なりに楽しく見出すことができました。そして、私が専門とする法学の視点からは、「建物のデザインに対して、建物(ないしは土地)所有者は法的に責任を負うのか?」ということを考えるようにもなりました。

民法には建物等のデザインについて、所有者に何らかの責務を予定したのではないかと思われる規定が存在します。
たとえば、隣地の竹木の枝や根が越境してきた場合に、根については切除が可能(民法233条4項)ですが、枝についてはその隣地の竹木の所有者に枝の切除を請求することになります(民法233条1項)。なぜ、根と枝とで異なる対応が規定されているのでしょうか。

明治時代にこの条文が制定された際に、立法者のひとりは「枝は価値の高い場合が多いが、根はそうではない」という説明をしています。
なるほど、「枝ぶり」を愛でる人はいても、「根ぶり」を愛でる人は寡聞にして知りません。いずれにせよ、この条文は、竹木の所有者に、その枝ぶり選定について主導権を与えたと理解できますが、結果として越境した枝は剪定されます。

ここで、竹木の所有者には、竹木の植栽段階から将来の枝ぶりに対して配慮が求められていると解釈することはできないでしょうか。
植栽した樹木の所有者は、その樹木に対して自由な支配権を有しますが、他者に迷惑や害をなすような支配は回避する配慮義務を負っていると考えるのです。

他方で、「景観利益」という考え方に基づいて、建物所有者に建築の差止や撤去を求める裁判紛争も多数存在します。
地域住民が守ってきた街並みや歴史的に意義のある風景が損なわれるとして、景観利益を認めた判例がある一方で、建物の色彩や形状自体を規制する法令が存在しないことから、景観利益を認めなかった判例もあります。

後者の事例の多くは、建物等の所有者が色彩や形状を決定していることが多いのですが、これを設計者だけの責任であると主張できるのでしょうか。
このような主張を認める法令は、少なくともわが国にはいまのところ存在せず、裁判所も認めないでしょう。つまり、逆に言えば、建物等の所有者は、そのデザインに対して、やはり何らかの責務を負っていると考えられそうです。

小綺麗なお宅の主を偶然目にして、妙に納得して嬉しくなることがあります。反対に、大規模な開発事業をめぐって地域住民が抵抗する様を見て、事業者の無配慮な態度に悲しい気持ちになることもあります。
ドイツの法哲学者ヘーゲルは、その名著『法の哲学』において、「所有においては私の意志は人格的なものである」と述べています(上妻精=佐藤康邦=山田忠彰訳『法の哲学』(岩波書店、2021)151頁)。
渋谷の街の再開発は、所有権の含意を読み取るに十分でしたが、その是非の判断は将来世代に委ねることにしましょう。


 

東京渋谷学習センター機関誌「渋谷でマナブ」2022年4月発行(第15号)より

公開日 2022-08-19  最終更新日 2022-11-01

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