広島学習センター所長 山田 隆
「論文の書き方」などのハウツー本では、「構想をしっかり立てて骨組みに肉付けしていこう」などと記載されている。この構想がはっきりしないから書けないのであって、実は構 想は書いているうちに、頭の中の混乱が整理され、まとまってくるものである。とにかく、書 けるところから書き始め、書き始めたらどんどん書き進めるのがコツである。
外山滋比古氏は、「思考の整理学」(とにかく書いてみる)の中でこう述べている。「全速で走っている自転車は、少しくらいの障害をものともしないで直進する。ところがノロノロ自転車だと石ころ一つで横転しかねない」。書き出したら、細かい表現は気にしないで断片でもよいから一瀉千里に書く。一段落ついたら、次のトピックスで書き始める。書き貯めた断片は、最後にまとめて編集すればよい。書き上げたものは、井上ひさし氏のように何回も推敲する。
推敲者は、分野の離れた人のほうが適している場合がある。見慣れた文字列は、脳が勝手に汎化する。例えばアルファベットのスペルミスを見落とすのも、見慣れた脳の手抜きによる場合が多い。分野の違う人であれば、言葉の並びそのものが新鮮であり、間違いを見つけやすい。脳は勝手に順化も行う。ギクシャク感じた部分も、何回か読んでいるうちに違和感が消えてしまう。違和感は新鮮な 頭で修正するべきであろう。
パソコンで作った文章の入力漢字変換ミスも非常に多い。場合によっては大きな問題を引き起こす。例えば、「博士論文」を「白紙論文」、「奨学寄附金」を「少額寄附金」、「経済波及効果」を「経済は 急降下」、「新分子」を「新聞紙」としたミスはまだ笑えるが、公文書にはあってはならない不適切な言葉が出たりすると大変なことになる。パソコン文章では、フォントの混乱も問題となる。特に数字とアルファベットの半角化は統一したほうが良い。
論文の記述の中には、文献からの引用が少なからずあるはずである。これについては出典をこまめに示す必要がある。放送大学生の卒業研究指導の経験から思う一つの注意点は、ある主張(論文の中で重要な意味を持つ)の主体が不明確な場合である。文献からの主張(文献を引用すること)に、これこれの理由で自分は賛成である、あるいは反対である、という形で記載すべきであろう。
論文を書くにあたり、だれもが格調高い立派なものに 仕上げたいと思うのは当然である。しかし、立派なものとは、難しい漢字、表現、専門用語を用いて、重々しく書いたものではない。読みやすく、わかりやすく、主張と論旨が明快なものこそ立派なものである。
広島学習センター機関誌「往還ノート」240号より
公開日 2021-06-23 最終更新日 2022-11-08