【学習センター機関誌から】地域連携ウォーキング

放送大学神奈川学習センター

秋の日に丘を越えて絶景を楽しもうPart

伊勢佐木長者町から山手エリアへ

2024年11月9日に地域連携ウォーキングイベントが開催されました。秋晴れの下、歴史、文化、自然などのガイドを聞きながら、伊勢佐木長者町から山手エリアへの約5㎞、4時間のゆったりとしたウォーキングを楽しみました。

今回は、過去に神奈川学習センターの所長を務めていただきました濱田先生からご寄稿いただきましたので、ウォーキングを企画運営した一員の藤田さんの感想とあわせてご紹介します。

(編集部)

観光コースからちょっと外れてさまざまな歴史を歩いて見る。

濱田 嘉昭

2008年に発足した「学生の学生による学生のための」支援活動(K-サポート)はコロナ感染症による中断があったが、「地域連携チーム」によるウォーキングは見事に再開を果たし、今回が15回目とのこと。雨による延期もあり、参加人数は少なかったが、標題の内容が実行された。その行程と感想を以下に紹介します。

秋晴れの 清々しき日 ウォーキング 山手の丘越え 歴史探訪

地下鉄ブルーラインの伊勢佐木長者町駅のある大通り公園に集合。

横浜開港、埋め立て、吉田川、関内など、歴史的なキーワードと地理の概略の説明を受けて、山手の丘を目指して出発。

長者町駅から横浜駅根岸道路に出る。周辺よりこの道路の幅が広いのは、かつて市電が通っていたことの名残りであり、幕末の横浜開港に際して、東海道と横浜港を結ぶために造られた横浜道の一部でもある。打越橋の見える場所に来ると、台地のコンクリート崖下にプラスチックパイプから水が湧き出している。「打越の霊泉」という。関東大震災や横浜大空襲の際、市民の喉を潤した。震災の後、丘の上に避難民が居住するようになり、そこへの交通を確保するため切通にして横浜市電を通した。その際に丘の上の生活道路が分断されるのを避けるため架けられたのが打越橋である。

打越の 橋から見れば 北方に 旧市庁舎と ランドマークタワー

旧市庁舎跡は現在、高さ160m、地上33階の「タワー棟」などが建設中で、25年中に「BASEGATE横浜関内」として完成予定であり、さらに隣接の場所も再開発の予定になっている。

新旧の 文化と歴史 織り交ぜて ダイナミックな 横浜の街

山手の丘に登り、打越橋に続く共立通りを東に進む。最初に目にするのが横浜共立学園中・高等学校である。明治初期、日本は「学制」を公布し、近代的な教育政策を進めたが、女子教育の観点は低かった。欧米からの居留民、特にキリスト教関係者は、独自の学校を設立した。横浜共立学園は日本で最初の女子寄宿学校となった。その他に、横浜女学院フェリス女学院横浜雙葉学園捜真学院(明治末に神奈川区に移転)などがある。

もちろん、心ある日本人の努力もあった。渡邊多満は、日清日露戦争の遺族・遺児らのための婦人慈善病院や孤児院の経営再建・運営を主導し、女性の社会進出支援にも尽力し、日本初の女子夜間学校、横浜女子商業補習学校を設立した(現在は中央大学附属横浜中学・高校となって都筑区へ移転)。

我が国の 男女平等 道遠し 家事と育児と セクハラもあり
ケイトウと 色の競演 センジュギク イタリア山の 整形花壇
イトスギが メタセコイアと 背比べ ゴッホは選ぶ 糸杉と星

山手本通りを進むと、イタリア山ブラフ18番館「外交官の家」がある。明治初期にイタリア領事館があった。「外交官の家」は八角形の塔屋をもつ美しい建築で、国の重要文化財である。幾何学的な配置された庭園には年間を通して花が絶えない。庭園の東にメタセコイアが、西にはイトスギが見える。

幕末に建てられた横浜天主堂を引継いだレンガ造りの「カトリック山手教会」は横浜で最も古い起源をもっている。関東大震災で倒壊したが、その後、現在の鉄筋コンクリート造りの教会堂が完成した。

教会の裏手に、明治2年(1870)日本最初の西洋式の山手公園が幕府により開設された。生麦事件を経験した居留民が安心して憩える場所を望んだことがきっかけである。この公園内に日本で最初のテニスコートとクラブが作られた。「テニス発祥記念館」では、当時のテニス衣装(女性はドレスを着てプレイ)やラケットなどを見ることができる。

さらに山手公園は「吹奏楽発祥の地」でもある。「君が代」が作曲され、山手公園野外音楽堂で演奏会が開催された。

公園内のヒマラヤスギはイギリス人によって、初めてインドから輸入された。

横浜山手は、西洋文化が導入された場所であり、日本最初の歴史が凝縮されている。

日本初 山手公園 四つあり ヒマラヤスギに 公園・テニス (吹奏楽も!)

山手本通りを進むと横浜雙葉学園(長い歴史を持つカトリック系女子中学・高等一貫校)がある。ビヤザケ通りとの交差点にエリスマン邸がある。裏手に出ると、すぐにレンガ造りの建築物の廃墟が目に入ってくる。3階建て洋館であったが、地下室部分を残すのみだ。当時の外国人の優雅な暮らしを垣間見ることができると同時に、関東大震災の威力を実感できる。

大地震 洋館潰す その威力 優雅な暮らし 一瞬の露に

元町公園内の階段を降りていくと、瓦やレンガの紹介パネルや貯水槽が見られる。横浜の市街地の井戸の水は塩分を含んでいて飲用には適さないが、丘陵地帯の麓には良質の湧水が多く、上水道が整備されるまでは、そうした湧水を汲んで市中を売り歩く「水屋」の姿があった。この点に着目したフランス人ジェラールは、山手の麓に水源を確保し、居留地や寄港船舶に供給した。明治時代、船乗りたちの間では「ヨコハマの水はインド洋に行っても腐らない」という評判を呼んでいたという。

ちょこまかと 仕事に励む 日本人 バサッと事業に 西洋人は

元町公園は日本の西洋瓦発祥の地でもある。横浜開港後、来日した西洋人は、はじめ和瓦で葺かれた日本風の建物に住んでいたが、次第に自国流の建物を建て始めた。ジェラールの瓦工場は、1873(明治6)年の創業から豊富な湧水を利用した蒸気機関で稼働していた。

ジェラールの 目の付け所 別視点 事業に移す 成功のカギ

公園内に「大正活映撮影所跡」の碑がある。大正9年(1920)に無声映画の配給映画会社が設立された。撮影所が活動していたのは約3年という短い期間であったが、ハリウッドで修行した監督の栗原トーマスや、すでに人気作家となっていた谷崎潤一郎が脚本を担当し、近代的な映画製作のはしりとなった。

音なくて 白黒動画 文字入れる 声は推測 情感もあり
劇場で 無声映画に 生演奏 活動弁士 裏声も出し

外国人墓地の裏口近くに、生麦事件犠牲者・リチャードソンの墓がある。

下馬せずに 行列乱す イギリス人 誅殺するは 尊皇攘夷
事件処理 謝罪・賠償 拒否をして 薩英戦争 手も足も出ず

外人墓地の北側を回って、階段歩道に入る前、「道路境界標」と刻んだ石がある。外国人居留地との境界を示したものである。その境界石からアメリカ山公園へは「見尻坂」を上がる。上るときに前の人の尻がすぐ眼の前に来るほど傾斜が急なためであるとか。

アメリカ山公園は明治初頭の米国大使館ゆかりの地であり、戦後は米軍の施設用地として利用された。みなとみらい線「元町・中華街」駅の駅舎上部を増築し、建物上部を隣接する丘陵地と一体的に整備した、全国初の立体都市公園となっている。ここも年間を通して花が絶えることがない。

花絶えぬ アメリカ山の バラ園で マリンタワーを 眺めつ一服

公園から南に坂を上ると横浜地方気象台がある。そこのソメイヨシノが横浜の桜開花を告げる。

山手本通りの東端が「港の見える丘公園」である。イギリス館前のバラの開花時期にはカメラマンが絶えない。園内には大佛次郎記念館や神奈川近代文学館もある。園内には横浜を舞台としたスタジオジブリ作品「コクリコ坂から」の公開を記念して、国際信号旗が掲げられている。2枚1組で「貴船の安全なる航海を祈る。I wish you a pleasant voyage.」という意味という。

眼下には 大桟橋や マリンタワー ベイブリッジや 夜の港も

ここが最終地点である。「港が見える丘」の歌碑の前で、みんなで合唱し、今日の完歩を祝って解散した。たくさんの(本邦初の)見どころがあり、消化しきれないほどだった。残されたポイントもまだ少なからずある。時間があれば、ゆっくりと、自分のペースで歩いてみたいものだ。リーダーの皆さん、ありがとうございました。解説資料の作成や下見にも多くの時間を費やしたことと思います。

この丘に 日本発祥 歴史あり 近代日本 文化花咲く

K-サポートウォーキング「秋の日に丘を越えて絶景を楽しもうPart2」を企画運営して

藤田 緑

K-サポート地域連携チーム

11月9日、K-サポートのウォーキングイベントを実施しました。本番は11月2日の予定でしたが天候不良のために11月9日に延期になり、参加人数は少ないであろうと予測をしていましたが案の定でした。しかし、今回の参加者の方は皆様リピーターの方で、このイベントを楽しみに来てくださっている方だと知ることができました。

伊勢佐木長者町駅の地上・大通公園でセンター長のご挨拶、準備運動を行い、江戸時代は吉田新田であった場所(大通公園)からスタートしました。長者町沿いに横浜駅根岸道路を山手に向かって上り、打越橋、山手の尾根道を辿り港の見える丘公園がゴールです。小学生の参加者には吉田新田のことを学校で習ったばかりだと喜んでいただきました。

タイトルは「秋の日に丘を越えて絶景を楽しもうPart2」で、コースのメインは横浜が誇る観光地:山手です。山手の尾根道や公園からの眺めは横浜港や中区の町、みなとみらい方面が一望でき素晴らしいものでした。山手は見どころがたくさんありますが、あまり知られていない歴史や場所があります。1859年開港後の歴史や関東大震災、横浜空襲と2度も横浜の町は廃墟になりましたが、立ち上がった現代の横浜の姿など、時代を縦断して見どころがありすぎるくらいたくさんありました。皆様はイタリア山、アメリカ山、フランス山、4つの初めてを持つ山手公園、「ヨコハマの水はインド洋に行っても腐らない」と評判になった湧水を貯めた水屋敷があった元町公園に足を運んだことがあるでしょうか?

K-サポートのウォーキングチームは地域連携を目指していますが、今は地域の方と一緒に作っていくことが難しい状態です。せめて当日は参加者の皆様の力もお借りして良いものにしたいと積極的に交流しました。その中で山手は1年を通じて4回のイベントを開催しており、山手通信(たより)が出されているので注目すると良いなどと教えていただきました。

少人数ではありましたが中華街で打ち上げを行い、職員さん、参加者、スタッフと交流し、ウォーキング最後まで楽しく有意義な時間を過ごさせていただいました。センター長はじめ参加者の皆様、スタッフの方々ありがとうございました。


神奈川学習センター機関誌「ふゆだより」通巻第99号(2025年2月発行)より掲載

公開日 2025-05-30  最終更新日 2025-05-30

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