【学習センター機関誌から】放送大学と私

  大木 真実

放送大学熊本学習センター全科履修生

私は今、月に一回ほど、千葉県にある放送大学の本部に通っている。放送大学教養学部公認心理師学部段階カリキュラム「心理演習」と「心理実習」の授業を受けるためである。北海道から鹿児島まで、全国から集まった年齢も職業も様々な30人と共に学んでいる。放送大学で学ぶ魅力の一つはそれまで全く接点のなかった人達と出会い、「学び」という共通の目的を持ち、無知を恥じ、知ることの喜びを分かち合い、苦楽を共にする時間を持てることだと思う。

私は、放送大学の大学院でその魅力を知った。その力に引き寄せられ、大学院を修了した後に再びこうして学部の授業に臨んでいる。学ぶことは決して楽しいことばかりではない。しかし学友と過ごす時間は、たとえレポートの締切を前に呻吟する時であってもかけがえのないものである。放送大学に入らなければ出会うことがなかったであろう人達と共有する時間が、私に新たな扉を開いてくれた。

私が放送大学の大学院を受験しようと思い立ったのは、人吉・球磨地方を豪雨が襲った4年前の夏のことだった。ボランティアで被災地を訪れた時、家を流されて川べりに佇む人に何ひとつ声をかけることができなかった。私は長く記者として働き、被災地を取材し、多くの被災者にインタビューをした経験がある。しかし記者という肩書きを外し、一人の人間として被災者に向き合った時、私はかける言葉の一つも持ち合わせていなかったのである。その無念さから衝動的に受験を決意し、大学院の臨床心理学プログラムで学ぶことになった。初めて学問と向き合い、戸惑い、自己嫌悪の日々が続いた。しかし、指導の先生が暗い足元を照らしてくださり、その灯りを頼りに、ゼミの仲間と手を取り合って深い森を進んだ。このような経験はこれまでの人生にはなかった。自分を見つめる貴重な時間となった。大学院を修了したからといって何かがわかった訳ではない。被災者にかける言葉が見つかった訳でもない。これからも多分見つからないと思う。ただ変わったのは、言葉を探すのではなく、傷ついた人の傍にそっと立っていようと思うようになったことである。

放送大学での学びは私の世界を広げてくれた。学び続ける先にどんな世界が待っているのか、さらに奥深い森を進んで行くことができるのか。これからも迷ったり、行ったり来たりしながら一歩、また一歩と歩みを重ねていくことだろう。


熊本学習センター機関誌「きんぽう」第104号(2024年7月発行)より掲載

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