【学習センター機関誌から】果てのない旅?あるいは掌上の転び?

福島学習センター客員教員 會田 容弘

 

 

 

 

私が子どもの頃学んだ人類進化は、猿人・原人・旧人・新人という一直線の進化であった。研究が進む中で、猿人アウストラロピテクスの年代が200万年前とわかった。その古さに驚いた。

1970年開催大阪万国博覧会にそのアウストラロピテクスのカスト(鋳型模型)がタンザニア館にやって来た。中学1年生になったばかりの私は祖父に引きつられ、大阪万博へ向かった。世は「月の石」で沸き返っていたが、私は、文化住宅程度の面積しかないタンザニア館パビリオンでアウストラロピテクスの頭蓋骨と対面した。

これが僕たちのご先祖様か。わくわくした。アフリカは人類揺籃の地。もう少し勉強しておれば、今頃、アフリカで初期人類遺跡の発掘をしていたかもしれない。不覚であった・・・。


しかし、今、私たちは最初に福島に足を踏み入れた人類の痕跡を発掘している。32000年前の遺跡、笹山原である。随分志が低くなったのか、時代が新しくなったのか。いやいや、そうでもない。今の研究では初期人類の子孫はアジアに拡散したが、どうやら我々とは遺伝的につながっていないらしい。だが、彼らの子孫が日本列島にやってこなかったという証拠はない。アフリカで10~20万年前に生まれたと推定されるホモ・サピエンス(現生人類)が長い旅の果てに、日本列島に辿り着いた(多分、九州に)のが4万年ほど前。そして猪苗代湖畔まで、長い旅は続く。


我々の祖先はただの旅好きであったわけがない。安定した生活ができるならば、そこに住み続けることができたであろう(推定だが)。しかし、地球環境はそれほど安定していない。中緯度から高緯度地帯では氷期と間氷期、低緯度地帯では乾期と雨期が訪れ、地震・津波・火山災害が生活を脅かした。さらには病原菌との戦いもあった。とすると、大陸の果てまでたどり着いた我らの祖先は訳ありの移動(旅)を行ってきたのである。

そんな彼らに会って、聞いてみたい。「これまでどんなことがあったのですか。どうやってくらしているのですか。」と。それができない(だから、過去を研究する)。


何も言わない石器を掘る。石器には心もなければ、言葉もない。しかし、石器には彼らの動作の痕跡が残されている。初めからわかっていることなど何もない。最初にわかったことは、この笹山原で地表下1mから石器が出土したことだけ。

その石器をもとに、背後にいた人間の動作を調べてみよう。どこから持ってきた石か。どのような過程で割っていったのか、どのような道具で割ったのか。どのように使ったのか、何に(被加工物)使ったのか。すべての証拠(痕跡)は石器に残されてる。


すべてを疑ってみよう。ホントのことなのかと。そして、自分がほんとのことであると確信できることから、始めてみよう。デカルトが言ったように。デカルトは思索だが、考古学は実物で証明する。

などと言って、私は皆さんを誘惑するのです。考古学は楽しいですよ。

 

(福島学習センター機関誌「もみじ94号」より)

 

機関誌『 もみじ 』バックナンバーはこちらから→https://www.sc.ouj.ac.jp/center/fukushima/about/magazine.html

公開日 2021-11-19  最終更新日 2021-11-19

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