2023(令和5)年度「放送大学 学位記授与式」が行われました。

2024年3月23日ベルサール高田馬場(東京都新宿区)にて、「2023(令和5)年度 放送大学 学位記授与式」が開催されました。本年度は、教養学部卒業生6,280名、大学院修士課程修了生219名、大学院博士後期課程修了生3名となり、数多くの学生が学びの一つの区切りを迎えました。中でも、最高齢は教養学部99歳、大学院修士課程81歳、大学院博士後期課程61歳。若年層世代から高齢世代まで、幅広い年代での卒業生・修了生を毎年輩出していることは、「生涯学習の放送大学」の象徴です。

式では、文部科学副大臣を始めとした来賓の祝辞の後、各総代の謝辞、名誉学生表彰、教員の教育研究活動表彰が行われました。岩永学長の式辞を紹介し、皆様の卒業・修了を祝福申し上げます。


式辞

式辞の冒頭にあたり、本年元旦に能登半島を襲った甚大な地震とそれによる大火災、そして津波によって多くの尊い命が失われたこと、また多くの方々が負傷され、住む家を失われたことに、心よりお見舞いの意を表したいと思います。本学にも被災された学生、関係者がおられます。被災された方々の日常が一日も早く取り戻されますよう、祈らずにはいられません。

さて、本日、卒業の、そして修了の日を迎えられた皆さんは、何を目指し、どんな目的を持って決して楽ではない学修(学び修めること)を続けてこられたのでしょう。本学の場合、学生の皆さんの学ぶ目的は、おそらく他のいかなる大学より多様であると思います。高校卒業時にさまざまな事情で進学できなかった大学での講義を改めて受けてみたい、職場でより重要な役職に就くため修士の学位が必要だ、心理学分野の資格を身に付けて関連する仕事に就きたい、あるいは、昨今の国際情勢の悪化を憂慮して国際協調と平和について深く学びたいというように、十人十色の多様な目的があったことと思います。

そうした多様な目的を果たすため、皆さんは難解な印刷教材に頭を抱え、聞き取りにくい講師の声に必死で耳を傾け、罠ではないかと思われるような試験問題と格闘し、論文の草稿を提出するたびに指導の先生の執拗なだめ出しを受けながらも努力を続け、何年もかけてこの学位獲得というステージに立っておられます。皆さんのこれまでの学修に対する真摯な姿勢に心から敬意を表したいと思います。

さて、本日は、その皆さんの「学修」について、いささか思うところを述べさせていただきます。誤解を恐れずにいうならば、「学修」とはほぼ「知の獲得」と同義です。皆さんは、それぞれの学位に相応しい「知」を獲得した者として今ここにおられます。それではその「知」とは何でしょう。この学位記授与式で歌われる那珂太郎先生の書かれた「学歌」にも「知は力」とあります。その場合の「知」は、「知恵」や「考え方」、「学ぶ力」だとよく誤解されるのですが、「知は力」はもともと17世紀イギリスの哲学者フランシス・ベーコンの「Knowledge is Power」「知識は力」がその元の言葉で、端的に言えば、知識が多ければ多いほど力になるというのが本来の意味です。この考え方は「百科事典」の成立にも強い影響を与えています。わずかな事例について深く考察し、そこから知恵を働かせて立派な理論を構築するよりも、数限りなく立ち現れる現象や事例をできる限り多く見聞し、知識を得る方がより真実に近づく道だという帰納法の考え方です。これはまさに天文学的な量のバックデータの集積を元に新たなものを導き出していくという現代の「生成AI」の概念の原型ともいうべきもので、四百年も前にその地点に到達していたベーコンのすごさを感じざるを得ません。

ただ、ベーコンは、どんな知識であってもあればよい、といっているわけではありません。彼は、私たちが気をつけて排除しなければならない「四種のイドラ」つまり「偏見」や「偏った知識」があると警告しています。それは、第一に、ヒトという種が持っている感覚の偏り、つまり錯覚や錯視によって得られた知識であり「種族のイドラ」と呼ばれるものです。第二は、広い世界を知らず狭い集団の閉じられた空間の中で「井の中の蛙」的に形成された知識で、ベーコンはそれを「洞窟のイドラ」と呼んでいます。第三は、人々の交流によって生じる言説やうわさ話、近年ではSNSで流布されるような根拠のない知識を言い、彼はそれを「市場(いちば)のイドラ」と呼びます。そして第四は、権威やカリスマ的存在によって作られ、人々に無批判に受け入れられる思想や知識で、「劇場のイドラ」と呼ばれます。

ベーコンの言う「知識」とは、こうした偏見や思い込みの産物であるイドラを排除した客観的で正確な観察、実験、測定、調査そして分析にもとづく知見を指しています。どんな知識でも構わず闇雲に集めればよいというわけではないのです。

今、私たちは、巨大地震や洪水などの大規模な自然災害、何波にもわたって拡がる感染症、宗教をめぐる葛藤、不安定な経済、そして理不尽な侵略戦争などさまざまな危機や課題に幾重にも取り囲まれています。戦後日本がめざしてきたナイーブな民主主義の理想という大きな物語にも疲れが見えてきました。そうした危機や課題に直面したときには必ずしたり顔をした耳に優しいイドラが跋扈します。今、何より私たちに求められているのは、そうしたイドラと適正な知識とを弁別する力です。

きょう、おそらくイドラを排した正しい知識を十分に身に付けて、放送大学の学部、大学院を卒業、修了される皆さんがここに集っておられます。いずれも「入るは易く出るは難し」という本学の教育トラックを見事に走りきった方々ばかりだと思います。ただ、ここが最終ゴールではありません。ここからより深い学修が、そしてその応用編が始まるということでもあります。今後の皆さんのさらなる研鑽に大いに期待いたします。

おめでとう。

令和6年3月23日
放送大学長 岩永雅也


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