※No.128号(2019年7月)掲載記事。
歴史の「学び直し」が、いま大人たちの間で人気のようです──。歴史は決して暗記科目ではなく、現代社会や人生を見つめ直すための大切な情報。そこで今回、近世都市史研究がご専門の杉森哲也教授に、歴史学の魅力や学ぶ楽しさなどお聞きしました。
人間と文化コース/人文学プログラム
PROFILE
大阪府生まれ。放送大学教授、都市史学会常任委員。専門は日本近世史。東京大学文学部助手、放送大学准教授などを経て現職。著書に『近世京都の都市と社会』(東京大学出版会)など
「家」や「墓」を守る仕組みは江戸時代に形作られた
現代社会の諸問題を考えるにあたっては、目の前で起きていることだけを見ていたのでは、問題解決につながらないだろう。歴史的経緯をふまえて考えなければ、物事は分からないから──。そんな思いが、私には基本としてあったのだと思います。
しかし私の場合、子供の頃から歴史学を学びたいと考えていたわけではありませんでした。大学でも、なんとなく人文系に進み日本史を専攻したという程度でした。
ところが、卒業論文を書こうという時、近世都市史研究者の吉田伸之先生に誘われて、はじめて京都にある史料所蔵機関を訪ねて史料調査を行うと、これがとても面白かった。そこから、近世京都の都市史研究が始まり、以来、私の最も主要な研究対象となりました。
そもそも近世とは、16世紀後半から19世紀後半までの約300年間、信長・秀吉の時代から江戸時代の終わりまでを意味します。現代の暮らしの中で、良きにつけ悪しきにつけ伝統的だと感じるものの多くは、実はだいたいこの時代に形作られたのです。
なかでも画期的なことは、それまで公家や上層武士だけのものだった「家」を単位とする社会的制度が、一般庶民にまで広がったことなんです。
「家業」としての家の職業を営み、家の名前である「家名」と、家の財産である「家産」を守り継続させていく仕組みが、全社会的に成立したのが近世という時代です。
今でも結婚式の時は、式場の案内板には「何々家と何々家、御婚礼」と表記されますよね。個人の名前ではなく、家の名前になっている。またお墓も、「何々家の墓」です。
膨大な史料を読み解き近世京都の、歴史像を描き出す
その近世において、私は特に京都に注目し、都市の人々の生活のあり方や社会の仕組みを研究してきました。
当時の京都は、江戸・大坂とともに三都と呼ばれる幕府直轄の巨大都市で、人口は約30~40万人。その中で発展した、地域共同体である「町」のあり方や、商人や職人の社会の仕組み、武士、僧侶や神官、そして被差別民の諸相について、個別のいくつかの事例研究を積み重ねながら、多様で複雑な近世京都の歴史像を明らかにしてきました。
たとえば京都西陣でしか生産できない高級な絹織物である呉服は、朝廷をはじめ幕府・大名の儀礼や贈答などに用いられる重要な商品でした。
そのため、呉服の生産地として、またそれを仕入れて全国に販売していく商人が集う商業都市として、近世京都は大きく発展します。
近世を代表する巨大な商人である三井家も、呉服が事業の柱の一つでした。有力な呉服屋は、やがて近代になると百貨店になっていきます。
ところで、過去の社会のかたち、歴史像をどのようにして復元するか──と言いますと、博物館や文書館に保存・公開されている古文書や古記録などの文字史料を、丁寧かつ正確に読み解く。それが基本です。
最近は、「洛中洛外図屏風」などの絵画も、近世京都の町並みや社会の様子を知る貴重な史料として取り上げられるようになりました。
文献では分からない当時の社会の様子、庶民生活の諸相まで細かく描かれています。また、実際現地に行って、同じ空間に立ってみることも非常に大事です。そこから見えてくるものが色々とあります。
特に京都の場合、役行者町、烏帽子屋町といった、江戸時代からの町名がそのまま残っていますから、歩いているだけで楽しいですね。
このように膨大な史料を収集・調査し、パズルのように組み合わせることで、様々な角度から歴史像を描き出します。
でも、読みたい史料が見つからないことも非常に多い。一例を挙げると、京都のある町を拠点として順調に家業を発展させたある呉服商は、家史料が失われてしまいました。
幸い、その町の町史料が現存していたため、町側の史料を用いることで、その呉服商一統の実相の一端を紐解くことができたのです。
やはり史料にも運命があるのですね。長い歴史の中で、いろんな理由で史料は消失していきます。蔵に眠っていた古文書が、所蔵者の代替わり時に廃棄されることもある。
たとえば京都町奉行所関係の史料は、幕末維新期の混乱で、ほとんどが失われてしまいました。また何度も大火があり、多くの史料や文化財が焼失しています。
逆にいうと、いろんな偶然により失われてしまった大量の史料があり、それらがもし残っていれば、私たちが知らないような歴史像が復元できたかもしれません。
大人になってから歴史を学び直す面白さを実感
放送大学では、「日本の近世」というラジオ科目が来年4月から開講します。また現在、人を通して歴史を考える「歴史と人間」というテレビ科目を開講しています。
人というのは元来、生きた時代の拘束を受けていて、その中で生きているんですね。たとえば、この科目の第12回講義で取り上げている、女子英学塾(現在の津田塾大学)を創立した津田梅子。
偶然にも新5千円札の顔になるようですね。梅子は父親の意向で満6歳11ヶ月でアメリカに留学し、帰国後は女子教育に尽力します。
彼女の人生は、自分の意思ではなかったものの、最初にアメリカに行ったことで、決定的に変わります。まさに黒船が来航し、日本が近世から近代へと向かう激動期に、その影響を強く受けた人生を歩むのです。
現代に生きている我々だって同じでしょう。人生、自分の意思で決められる部分と、どうしても時代に拘束されてしまう部分があるのです。
このように歴史を学ぶということは、現代を生きる自分の人生と重ね合わせて見ることもできるから面白いですね。人生経験を積むと、若い時は分からなかったことも、見えてくることがあるからより楽しめます。
やはり主体的な問題関心をもって、興味をもった事柄なり、地域なり、人物なりの歴史を調べていくと、漫然と教科書を教えられるのとは違い、歴史はどんどん面白くなっていきますね。歴史を学び直す意味も、より深まってくるのではないでしょうか。
Information お知らせ
江戸時代、江戸・京都・大坂は、「三都」と呼ばれる幕府直轄の巨大都市でした。この三都の共通性と独自性を比較検討する『シリーズ三都─江戸巻・京都巻・大坂巻』。
このたび、杉森教授が編集を担当した『京都巻』が刊行されます。1200年以上の歴史をもつ「伝統都市」であり、「近世の巨大都市」である京都、その都市の実態を明らかにします。
公開日 2021-02-26 最終更新日 2022-09-13