【学習センター機関誌から】サツマ・オレンジ

鹿児島学習センター所長  高津 孝 

温州みかんは、いま日本で食べられているみかんの中で一番一般的なものですが、英語名が「サツマ・オレンジ」であるというのをご存じだったでしょうか。実は、筆者も詳しいことを知らずにいたのですが、4年前に『大学的鹿児島ガイドーこだわりの歩き方』(昭和堂、2018年)を鹿児島大学法文学部で編集することになり、「温州みかん」のコラムを担当して初めて詳しい事情を知ることになりました。温州みかんは、薩摩が発祥の地で、長島(出水郡長島町)に原木があった、というのは聞いていたので、コラムを書くことを引き受けたのですが、調べてみると実に面白い内容が分かってきました。

『園芸植物大事典』(小学館、1994年)によれば、温州みかんは、約500年前に鹿児島県長島で偶然に発生したものだそうです。また、江戸時代に普通に食べられていたみかんは紀州みかんという種類で、明治時代になってから、明治政府(大蔵省勧農寮)の奨励で温州みかんが全国に広がり食べられるようになったそうです。ちなみに紀州みかんは中国原産で、かなり古くから日本に入ってきており、紀州(和歌山県)で栽培が始まったのは16世紀ごろということです。桜島小みかんは紀州みかんで、鹿児島では両方が食べられるのです。紀州みかんが甘味は強いが種が多く小粒、一方、温州みかんは種無しで大粒であったことが明治期の全国普及の決め手であったようです。

ここでアメリカ合衆国が登場します。当時、アメリカは、温暖な南部のフロリダ州を商業果実栽培の国際的な拠点に育成しようと考えており、世界中から優れた果実の品種を集めていました。その一つが温州みかんで、明治9年(1876)にDr.Gorge.R.Hall によって、苗木が初めてアメリカにもたらされました。ところが、「サツマ」と命名したのは別の人物とされています。1908年にアメリカで出版された『ペカンとサツマ・オレンジ』という書物には、日本に来ていたアメリカ人外交官General Van Valkenburg によってサツマ・オレンジの苗木がアメリカにもたらされ、その夫人の示唆によってサツマ・オレンジと命名されたと記されています。また、1911年に出版された『サツマ・オレンジ』という書物には、サツマの日本名はウンシウで、1876年にDr.G.Hall によって、のちに1878年にVan Valkenburg 夫人によってフロリダに紹介されたと記されています。Robert B. Van Valkenburgh(1821-1888)は、元北軍の将校で、1866年から1869年まで在日公使を務め、帰国後はフロリダ州に住んでいたことが知られています。そして、アメリカの南部諸州ではサツマ・オレンジの栽培が盛んになり、サツマという地名が4箇所も存在することになりました。上記のようなアメリカの書物をどのように調べたのか、と疑問に思われるでしょう。実は、ハーティトラスト・デジタルライブラリ (HathiTrust Digital Library)という電子図書館を利用しました。この図書館は、アメリカ合衆国を中心とした世界各国の大学図書館が所管する書籍などをデジタル情報としてインターネットで公開しており、自由に検索できます。「satsumaorange」で検索をして、年代の古い書物を順番に調べて、上記のような情報が入手できました。鹿児島に居ながらアメリカの大学図書館の本が読めるというのはすごいですね。


鹿児島学習センター機関誌「かいこうず」第95号,2022年4月号より

公開日 2022-06-17  最終更新日 2022-11-01

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