2023年3月25日に、2022(令和4)年度放送大学学位記授与式がNHKホール(東京都渋谷区)において挙行され、岩永学長から卒業生・修了生に卒業証書・学位記が授与されました。(教養学部卒業生6,198名、大学院修士課程修了生258名、大学院博士後期課程修了生9名)
文部科学副大臣・総務大臣や同窓会連合会会長からの祝辞をいただいた他、各総代の謝辞、名誉学生表彰、教員の教育研究活動表彰が行われました。
式辞
放送大学は、日本で最も多くの成人が学ぶ大学です。その放送大学に奉職して30年余り、私は、成人が学ぶとはどういうことか、その本質的な意味は何かについて、絶えず自問してきました。成人はすでに社会の構成員として一定の社会化を十分達成しており、その成人があえて学ぶことには自ずと子どもの初期的な社会化とは異なる何かがあることは当然だと感じていたからです。
そうした自問を繰り返すうち、そして、本学での教育活動に身を置き、多くの学生の皆さんと接するうちに、成人の学びの意味は、結局のところ「学ぶ目的」そのものではないかと思いいたりました。学びの目的とは、成人が何をめざして学ぶか、その到達点をどこに置いているか、ということです。
「目的」が「意味、意義」ということになれば、成人の学びの意味は十人いれば十通り、百人いれば百通りあるということになります。職場で管理職になったので人事管理や経営学を学びたい、韓流ドラマを本格的に楽しみたいのでハングルの講義を履修したい、中高生になった子どもたちの心理を理解してよりよい接し方について考えたい、あるいは、地元の博物館、資料館でボランティアをするために、学芸員の資格に結びつく単位を取得したいというように、学ぶ人たちそれぞれにそれぞれの目的や狙いがあり、それらがそのまま学ぶ意味だと考えてよいということです。
そこで、私の最初の問に戻ってみたいと思います。一般的に見た場合、成人が学ぶことに共通する本質的な意味は何でしょう。もちろん、十人十色の学ぶ目的の最大公約数を機械的に求めたとしても、それが成人の学びの一般的な意味になるとは思えません。
しかし、あえて学びや学習の語を用いず、最も基本的なプロセスの共通項を求めれば、それは「ある目的に沿って事物や事象の情報を集め、理解し、知識あるいはスキルとして蓄積する」ということに集約されると思います。さらに「機会を得てその蓄積を活かす」ことを付け加えるならば、いっそう成人の学習に相応しい意味になるでしょう。
成人教育学、成人学習論の泰斗、マルカム・ノールズは、成人学習者の特徴として、「強い自己概念に基づく自己統制」「経験指向性」「社会的に決まるレディネス」「問題解決的な学習動機と学習順序」などをあげました。これは「教師や教科書などの絶対的権威に依存的」で「生かすべき経験がまだ蓄積されておらず」「学習へのレディネスが発達の程度によって内的に決まり」「公的なカリキュラムに則った系統学習が主」であるような学齢期にある子どもの学習との決定的な違いです。
「ある目的に沿って事物や事象の情報を集め、理解し、知識あるいはスキルとして蓄積し、機会を得てその蓄積を活かす」という成人学習の意味、意義は、まさにその成人の学習特性に相応しい学習のあり方だと言えるでしょう。
ごく最近、「ChatGPT」や「Bard」といったチャットボット、AIを用いた自動会話プログラムが大きな話題となっています。どんな質問や作業の要求をしても、膨大な過去のデータに基づいて即座にそれに自然な文章で答えてくれる、テーマと粗々な筋書きさえ提供すれば短編小説さえ書き上げてくれる、という、万能の人工知能プログラムです。
皆さんが苦労して取り組んだ数々のレポートも論文も、簡単に書いてくれるかもしれません。私たち大学教員にとって、レポートや試験によって学生の皆さんの達成度合いを計る際のとんでもない脅威になりそうです。ただ、それほどの実力を持ったチャットボットでも、成人学習者には叶わない点が一つあります。それは、「自ら問うことはできない」という点です。
どんなに難しい課題を出されても即座に答えてしまう「究極のクイズ王」のようなチャットボットも、誰かに問いかけてもらわなければまったくその能力を発揮できず、その点で、学ぶ目的と問題意識を持った成人学習者、つまり皆さんには到底叶わないということです。
きょう、その成人学習の大きな果実を持って、放送大学の学部、大学院を卒業、修了される皆さんがここに集っておられます。いずれも「入るは易く出るは難し」という本学の教育トラックを見事に走りきった方々ばかりだと思います。ただ、ここがゴールではありません。ここからより深い学修が始まるということでもあります。今後の皆さんのさらなるご研鑽を大いに期待いたします。
今、私たちは、さまざまな危機や課題に幾重にも取り囲まれています。喫緊の課題も少なくありません。戦後数十年を経て、諸科学がおおかた克服したと思い込んでいた感染症、巨大地震などの大規模な自然災害、理不尽な犯罪や逸脱行為、宗教をめぐる葛藤、そして文化的と信じられていた人々による残酷な戦争行為・・・日々驚くばかりの、怒りと戸惑いを禁じ得ない現実が突きつけられています。戦後日本がめざしてきたナイーブな民主主義の理想という大きな物語にも危機が迫っています。
そうした状況に対して、成人の学びはまったく無力なのでしょうか。私はそうは思いません。私たち自身が、学ぶ目的と強い問題意識を持って現実を理解し、それを知識やスキルとして蓄積した上で、機会を得てその蓄積を活かすという成人の学びを実行し続けることで、そして、そうした成人学習者が少しでも増えていくことで、こうした状況はきっと好転させることができるものと信じています。
ここにおられる皆さんこそ知性ある社会の主人公です。学び続ける教養人としての矜持を持って、これからの人生を輝かせてください。
令和5年3月25日
放送大学長 岩永雅也