【学習センター機関誌から】考古学者の時間

會田 容弘

放送大学福島学習センター客員教員

放送大学福島学習センターのゼミは「人類進化」をテーマに進めている。現在ネアンデルタール人まで到達した。彼らは30万年前から3万5千年前までヨーロッパに生存していた。その前はアフリカの初期人類の話で、最初の石器は330万年前のケニアのロメクウィ3遺跡で発見されているなどという話しをしている。

ある時、ゼミ生の方から「先生の時間に対する観念とはどのようなものか」との質問を受けた。咄嗟に「私の時間は積み重なるのです。」と答えた。同時代に生きていると、過去の出来事は年齢で示すことができる。自分が何歳の時、そしてそれを暦年に換算する。生まれる前は西暦が一本化されているので、便利である。しかし、西暦以前になると、どうやって年代を決めるか。さらに、文明以前になると年号を決める手がかりすらない。

我々考古学者にとって、時間は流れるものではなく、積み重なるものなのである。上にあるものは新しく、下にあるものは古い。頭の中には遺跡の地層が見えている。これは地質学者ニコラス・ステノンが唱えた「地層累重の法則」である。考古学者はこれにのっとり、古いものを掘り出すために、より深く土を掘る。遺物が出るまで掘る。この感覚が時間を遡る観念である。この時間は今から何年前という時間ではない。

一方で、人間は「時の流れ」と言い、時間を川の流れの如く感じる。鴨長明は、「行く川の流れは絶えずして」と言い、時の流れの傍観者のようである。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」個々の事象は時間の川に流されてゆく。それを語るのが歴史のようでもある。

考古学者は深く深く掘り進めることで、過去の出来事に出会う。土をどかせば、キラキラ光る石器。この石器は3万年間、私に掘り出されるのを待っていたのだ。3万年前の人類が石を割り、使い、残していったのだ。まさに過去の石器作りの動作連鎖がそのままそこにある。積み重なる時間を直観することは難しくない。土を掘るという労働が加わることで、考古学者の時間旅行には肉体的な感覚もともなう。
因みに鴨長明の見た賀茂川が運んだ厚い堆積層を京都市埋蔵文化財センターの展示で見ることができる。賀茂川に運ばれた礫や砂の間層に過去の京都人の生活面がある。1000年の都以前からの人類の営みの痕跡である遺物が重なっているのが見られる。長明もこれを見ていれば、世界観が変わったかもしれない。泡沫ではない、人為物の積み重なる確たる人間の歴史が見えるのである。


福島学習センター機関誌「もみじ」第107号(2024年10月発行)より掲載

関連記事
インターネットで
資料請求も出願もできます!