【学習センター機関誌から】中国語学習のコツがあるとすれば

山本 忠

放送大学八戸サテライトスペース客員教授

中国語は、私の勤務先では選択科目なので、その年に何人受講するかは第一回目の授業で教室に入るまでわからない(毎年ドキドキものである)。幸いなことに、今年も我が教室に例年同様新しい学生がやってきてホッとしたところだ。こうして実質2か月余りが過ぎ、順調にシラバス通り週1回の授業が進んできたのだが、どうしてもある種やるせない気分に陥ってしまう。

振り返って50年前、中国文学専攻の私は、大学1年生の時はいわゆる教養語学の中国語が週に3回、その他専門科目としての文法やら会話の授業があって、毎日のように中国語関係の授業があった。これだけでも相当の時間数になるが、さらにきつかったのは「先輩による指導」であった。

私の母校では毎朝1時間目の授業が始まる30分位前からあらかじめ定められた教室で、2年生以上の上級生が1年生を相手に一対一で発音指導する習慣があった。戦前からのことで、今も続いていれば一世紀以上の伝統になる。「本を声に出して読む」という意味の中国語で朝の「念书(ニエンシュー)」と言った。

はじめは四声と呼ばれる4種類のアクセントの言い方、日本語の50音図に相当する北京語音節表(50音どころか400以上ある)の一つ一つの発音から始まって、教科書の例文や本文を何度も、何度も、何度も、何度も、上級生が「良し」と言うまで繰り返し、繰り返し先輩の後について発音させられた。

教科書の文章はほとんど暗記してしまうくらい練習したので、授業は楽だった。教科書の中の文法解説の時間もあったはずだが、あまりよく理解できなかったのだろう、勉強した確かな記憶がない。それでもまあまあ正しい作文ができたのは、丸暗記のおかげに違いない。授業後はまた熱心な上級生から某政治家の短い論文、語録を暗記(夕方の「念书」)させられた。文法の説明はなかった。政治には興味がなかったので、内容については良いとも悪いとも思わず、ただひたすら暗記した。外国人力士が流暢な日本語を話せるのは稽古場で相撲の練習と同時に日本語を何度も聞かされているからではないだろうかと思う。

ところで冒頭のやるせなさは、自分の受け持ちクラスの受講生の練習機会の少なさによる。授業コマ数も少ないし、課外の練習機会のお誘いもない。 私が学生だった頃は、中国語の音源はカセットテープ位しかなく、生の中国語に飢えていた。「訪船」と言って、港に入った中国の貨物船の船員相手に腕試しするのが楽しみだった。今はネットで教科書の模範朗読から中国人の手になるyoutubeでネイティブの音も画像も見たい放題である。これを活用しない手はない。


青森学習センター機関誌「りんご」第119号(2024年7月発行)より掲載

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