音喜多 信博
放送大学岩手学習センター客員教員
岩手大学准教授
みなさんは「人生会議」という言葉をご存じでしょうか。これは、厚生労働省が2018年にACP(アドバンス・ケア・プランニング)の愛称として定めたものです。厚生労働省のウェブサイトでは、ACPとは「人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組み」と定義されています。
現在では、高齢やがんの終末期などの死が差し迫った時期に、いわゆる「延命治療」をしてほしくないと感じている人たちが少なくないと言われています。たとえば、心肺蘇生法、人工呼吸器の装着、人工的水分・栄養補給法(胃ろうなど)などはやってほしくない、ということです。自分の人生の最終段階については、自分で決めたいと考えている人たちが増えていることは確かなようです。その一方で、「人生会議」のような取り組みを国が主導することに対して、一種の危うさを感じている方々もいらっしゃるかもしれません。
さて、ACPについてまず理解していただきたいのは、これは必ずしも特定の医療処置を受けるかどうかの意思を事前に書面で表示しておくことを目指すものではないということです。このような意思表示は「事前指示」(より限定された言い方では「リビング・ウィル」)と呼ばれます。自己決定を重んじる国であるアメリカでは、一時この「事前指示」を推し進めようという動きが盛んでした。ところが、いろいろな調査によって、その限界も見えてきました。たとえば、医療技術についてよく理解されないままに書類が作成されている、本人の選択と家族らの意思決定代理人の選択が食い違っている、予期せぬ病状の変化や本人意思の変化に対して柔軟に対応することができない等の問題が指摘されるようになったのです。
そこで登場したのがACPの考え方です。これは、単に終末期の医療処置に限定せずに、もっと長い時間のスパンで、本人が抱いている人生観や価値観にもとづいて、人生の最終段階をどこで誰とどのように過ごしたいか、どのような医療やケアを受けたいか、等について事ある度に繰り返し話し合っておくということです。そのプロセスを、本人と家族ら、そして医療や介護のスタッフが共有しておき、いざ何かが起こったときに、それに基づいて対処する。たとえば、本人が意思表示をできなくなったときに、家族らや医療・介護スタッフの間で本人の意思を推定して、できる限りそれに即した選択をしていこうというものです。
つまり、ACPは、本人による自己決定を尊重しながらも、人生の最終段階における医療・ケア場面での柔軟な対処を可能にしようという考えであると言えます。しかし、その実践や社会への浸透は、けっして容易なことではないと想像されます。
このような問題について、私の専門とする哲学や倫理学(生命倫理学)の分野ではどのように考えられているのでしょうか。今年度の12月に予定されている私の面接授業の内容の一部は、このテーマにあてたいと考えております。ご関心のある方は、是非受講していただき、議論に参加していただければと思います。
岩手学習センター機関誌「イーハトーブ」第196号(2024年9月発行)より掲載