【学習センター機関誌から】公開法廷という空間

田淵 浩二

放送大学福岡学習センター客員教授

私は刑事法学を研究している関係で、たまに裁判を傍聴する機会がある。憲法は公開裁判を原則としており、事前に申請しなくても誰でも傍聴できるが、多数の傍聴希望者が予想される事件では事前に整理券が配られ、抽選となることもある。私が傍聴した事件のうち、福岡県の篠栗町で発生した母親が、人格支配されていた「ママ友」と共謀して、子どもに十分な食事を与えず死亡させた事件では、傍聴券の抽選が行われた。八女市で発生した父親に暴行を加えて死亡させた事件は、抽選はなかったものの、広い法廷の傍聴席はほぼ満席だった。事件の関係者や親族・知人ならまだしも、全くの他人の人生の不運を傍聴するなんて趣味がよくないのではと感じる人がいるかもしれない。ところが憲法は、被告人は公開裁判を受ける権利があることを明文で定めている。

自分が犯人として裁判にかけられている姿を他人に見られることが、なぜ被告人の権利なのか。裁判は公開されているが、法廷自体は閉鎖的な空間であり、息苦しさが漂っている。これに対し、傍聴人が多数いる法廷だとなぜか落ち着く。傍聴人で埋まっている法廷では、裁判官も丁寧な訴訟指揮に心がけているようにみえる。最近、工藤会の総裁と会長が被告人の事件の控訴審を傍聴した。工藤会は武闘派と呼ばれかなり怖いイメージがあるが、裁判長は被告人に対して丁寧に応対していた。まさに公開法廷のなせる技である。法廷と異なり取調室は、弁護人ですら立合いが認められない完全な密室である。こうした閉鎖空間では、取調べる側と取調べられる側の間に上下意識が生まれることは避けられまい。それが厳しい取調べの土壌になっている。法廷も閉鎖されていれば本質的には取調室と異なるものではない。裁判官の目線も上から目線になってしまいがちだろう。

刑事司法は犯罪により乱れた法秩序を回復することを目的とした制度である。そして法秩序は単に犯人を処罰すれば回復するということではなく、なぜ犯罪が起きたかを社会が受け止め、理解する作業が大切である。裁判傍聴はそのための手段でもある。裁判員裁判は地方裁判所のホームページにも事前に審理日程が掲載されている。関心のある事件があれば是非傍聴されてみてはいかがだろうか。


福岡学習センター機関誌「おっしょい」第66号(2024年7月発行)より掲載

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