【学習センター機関誌から】セルフ・コントロールの心理学

高橋 雅治

放送大学北海道学習センター客員教授

学生の頃、ハトが自らの欲望を制御できることを示した論文を読んで心を打たれた。そこには、実験手続きを工夫すれば、ハトもまた自らの欲望をコントロールすることができるという興味深い結果が報告されていた(高橋、2017)。

一般に、「すぐにもらえる小さな報酬」と「遅延される大きな報酬」を選ばせると、ほとんどのハトは前者の「すぐにもらえる小さな報酬」を選ぶことが知られている。この場合、「すぐにもらえる小さな報酬」を選ぶことは、目先の誘惑に負けて不利な報酬をとってしまうという意味で、衝動的な行動であるとされる。一方、「遅延される大きな報酬」を選ぶことは、長期的に有利な報酬を選ぶという意味で、セルフ・コントロール(自己制御)であるとされる。したがって、「すぐにもらえる小さな報酬」を選ぶハトは衝動的であると解釈される。

ところが、実験手続きを工夫すれば、全く異なる結果が得られることがわかったのである。たとえば、「すぐにもらえる小さな報酬」と「遅延される大きな報酬」の選択よりも前の段階で、「遅延される大きな報酬」を選ぶかどうかを聞く選択肢をハトに提示した。その結果、ほとんどのハトは、事前にその選択肢を選ぶことでセルフ・コントロールを示すことができた。

人間に例えると、給料日に「すべて使ってしまう(すぐにもらえる小さな報酬)」という選択肢と「貯金する(遅延される大きな報酬)」という選択肢の間の選択に直面した場合、前者を選ぶ社員は多いだろう。しかし、給料日よりもかなり前の時点で「給与天引き貯金」の募集を行えば、多くの社員が給料日の貯金に同意するだろう。このように自らの選択を事前に決めておくことでセルフ・コントロールを実現する方法を、先行拘束という。

セルフ・コントロールを説明する行動経済学的な理論では、先行拘束を行う時点が報酬をもらう時点から時間的に離れているほど、セルフ・コントロールを示しやすいとされる。実際、買う物を決めずに食品売り場を歩きまわると、ついつい好きな物を買ってしまいがちである。しかし、実際の買物よりもずっと前に買う物を決めておけば、健康的な食生活を維持することができるだろう。

これまでのセルフ・コントロール研究は、個人レベルの意思決定を研究対象として成果をあげてきた。たとえば、医療分野では、患者が食事療法や運動療法を継続できるように支援する手法の開発が進んでいる。だが、昨今の社会情勢を見れば、今後の研究は、分析対象を組織レベルの意思決定にまで広げてゆく必要があるのではと思う。たとえば、日本では、賃金等のコストをひたすら抑制することで国際競争力を上げるという浅薄な意思決定が積み重ねられてきた。その結果、長期的な視点に立った人材育成や研究開発が疎かにされてきたのではないか。今後の研究は、このような集団レベルでのセルフ・コントロールの問題にもまた取り組んでいかなければならないだろう。

集団的な意思決定は多様な要因が同時に関与する複雑なシステムであり、研究成果が得られるまでには長い遅延があるかもしれない。だが、そのような方向に沿った研究は、これからの社会にとって大きな価値をもつにちがいない。

高橋雅治(編著)  セルフ・コントロールの心理学  北大路書房 2017.


北海道学習センター機関誌「てんとう虫」第136号(2024年7月発行)より掲載

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