【学習センター機関誌から】「ハラスメント」考

小林 透

放送大学長崎学習センター客員教授

昨今、いろいろな「ハラスメント」が世を賑わせていますね。大学教員にとっては、差し詰め「アカハラ」がもっとも身近な「ハラスメント」でしょうか。

日々、そうならないように細心の注意を払っていますが、ゼミなどで教育上、どうしても、「(技術的に)それはちがうよ!」のように学生の言動を否定するようなコメントを発しなければならない場合があります。

それに対して、学生から、よく「すみません。」とリアクションされる場合があります。そのようなリアクションの場合、何か私が「アカハラ」をしているようで、それ以上のコメントがしづらくなってしまいます。

しかし、大学教員の職務として、学生に正しい知識を身に着けてもらうために、言わざるを得ない時もあります。どうすれば、いいだろうと、“もんもん”としている時に、何気なくTVを見ていたら、日本人で初めてサッカーの国際Aマッチの審判ができる資格を取った方のインタビューが目に入ってきました。

その方は、試合中、もっとも気を遣うことは、イエローカードやレッドカードを出す時だと、話されていました。カードを出された選手は、感情的になって試合の進行に不都合が生じる場合があるからだそうです。それを防止するために、その方が言っていたのは、「私がカードを出す対象は、選手ではなく、その選手が行ったプレイである」とのことでした。

これを聞いた時、「これだ!」と思いました。つまり、私がゼミで否定的なコメントをする対象は、その学生本人ではなく、その学生の言動であると考えればよいのだと気が付きました。

こうすることで、一人の同じ人間である学生という人格を尊重しながら、遠慮なく否定的なコメントをすることができます。学生にとっても、一度、自分の口から出た言動は、自分から切り離されたものなので、それを客観的に見ることができます。

なので、私が否定的なコメントをしても、それを客観的に見て、そうだと思えば、考えを修正すればよいし、そう思わなければ、修正しなければよいのです。いわんや、自分が「すみません」と言ったり、感情的になって反論したりする必要はありません。

毎年、学部4年生になると5名程度の学生が研究室に配属されます。その最初のゼミで、この話を必ずするようにしています。もちろん、その後のゼミでは、教員、学生の区別なく、喧々諤々の議論が百出することは言うまでもありません。

また、この話は、私が受け持っている社会人講義でもしています。社会に出るといろいろなことを言う人と一緒に仕事をする必要があります。まじめな人ほど、周りの言動に振り回されて心身の不調に陥ってしまうことも少なくありません。この考えは、ある意味自分を守る“バリア”でもあるのです。

長崎学習センター機関誌「出島」第117号(2024年7月発行)より掲載

関連記事
インターネットで
資料請求も出願もできます!