【学習センター機関誌から】読書について ―「大作」に挑む―

熊野 純彦

放送大学東京文京学習センター所長

熊野純彦さんの顔写真

年をとったせいか、むかしのことばかり思いだす。読書についてもそうである。あまりに紋切り型の書き出しで、われながらどうかと思うけれど、年をとったせいで恥じらいもなくなってきたので、つづけてしまおう。

若いときの読書の傾向のひとつに、「大作に挑む」という方向があるように思う。挑んだもののうちには読みとおした作品もあるし、挫折してしまった長篇もある。抛りだしたのはたとえば『大菩薩峠』、中里介山の大正時代の小説で、そのむかし暇を持てあました学生があまた挑戦し、ほとんどの者が敗れ去った。

おなじころ、いちおう読みあげたのはプルーストの『失われた時を求めて』である。井上究一郎訳の筑摩書房版で、こちらは十代のころ、すくなくとも二回は通読している。長じてから鈴木道彦訳をすこし覗き、古川一義訳であらためて拾い読みした。後者は岩波文庫で、いちばん入手しやすいテクストだろう。井上訳はいまとなってはすこし読みにくい。鈴木訳は瑞々しく、また古川訳はリーダビリティ(読みやすさ)では出色である。

十代のころに親しんだのは、もうひとつには日本古典であった。高校の物理がだんだん、「おっしゃっている意味が分かりかねますが」状態となっていったころ、階段教室の最後列に悪友とならんで座って、『源氏物語』に挑戦した。手に入れたのは旧版の岩波文庫、注の数もすくなく、ときおり「……分かりかねますが」状態に陥ったけれど、たしか半年で読みあげたと思う。以来いくどか、何種類かの刊本で通読したが、これから原文で読んでみようという方がいらしたら、新潮社の古典集成をおすすめしたい。頭注と傍注に助けられながら、原文の香りを味わうことができる。

ただの素人がプルーストを読んでも、源氏をかじっても、べつにどうなるというものではないだろう。それでも、そういった大作を読むのも読みなおすのも、それほどお金もかからず、ひとさまに迷惑もかけない贅沢である。


東京文京学習センター機関誌「文京(ふみのみやこ)通信」№18(2025年5月発行)より掲載

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