伊藤 美樹子
放送大学滋賀学習センター客員教授


レースのパラソルのようで、開くとカヤのような虫除けになる食卓で使う覆いのことを、蠅帳(はいちょう)というらしい。インターネットでは、夏の季語とある。
季節外れの話だが、食べ物の保存方法と腐敗について思い出したことがある。
食品の保存は今となっては冷凍庫であるが、私の小さい頃は、家の冷蔵庫は小さく、食卓に蠅帳はよく使われていた。食べ物は、口に入れてから、ほのかな酸味を感じて「これはダメだ」と感じる時もあれば、もう口に入れた途端に、嘔吐反射が起こって、体が「食べてはだめ」と教えてくれた。頭で良いと思っても、体はそれとは違うことをすることを、この時、身をもって覚えた。嗅いでみて、大丈夫そうと思っても、ダメな時には、体が勝手にえずいて喉から奥に通さない。これは私が子どもの頃に会得した、「ヒト」として生きるための学習であったと思う。この話はおじも共感してくれた。昔は、口に入れて、腐っているかどうかを確かめたものだと。今、家の子どもらは、消費期限(安全に食べられる期限)を確かめて、そこに記された日付の情報で食して良いかどうかを判断している。間違いではないだろうが、「ヒト」としての生存能力のナンタラを退化させてやしないかと思う。
味噌を手作りしている人の話を思い出した。手作りは、なんだか手間と暇をかけて丁寧に作られた特別な価値を持つように思うが、自家製の味噌を保存するためにはそれなりの塩分の濃度が必要とのこと。もっともである。
私の実家の母は毎年、梅干しをつけていた。梅干しがつけてあるツボから梅を出すときには、カビが生えないよういつも新しい割り箸を使っていた。カビが生えた梅を取り出していたことも、近所の人から「生理の時に梅干しを触ると腐る」ということを言われて気にしていたこともある。天日干しの梅を取り込むのは、学校帰りの私の仕事だった。梅干しは赤いが、塩のベールを纏っていた。
実家の梅干し作りはその後もずっと続いていたが、実家で暮らすのが両親だけとなって、梅干しは1年分作ると余るようになっていった。私は実家の梅干しを分けてもらっていたので、私自身が梅干しをつける必要はないまま過ぎていたが、多分、私が子どもを持ったというのが、直接の動機となって、自分でも漬けてみようと、それもできれば塩分濃度の低いやつをつけてみようと思い至るようになった。初めて梅干しを作ったのは、娘が年中組の頃だろうか。塩分濃度が5%と低めのものに挑戦した。それでも天日干しまで順調に経過。梅がうっすら白くなっていた。塩気がつかない梅干し作りというのは相当難しいようだ。それでも大の梅干し好きの娘が喜ぶだろうと、達成感を持って、ベランダの梅干しを味見してみていいよと伝えた。しばらくすると、白いの大丈夫かと尋ねてくる。塩だから大丈夫と台所で別のことをしながら返事をしていたが、また同じように尋ねてくる。梅干しだから、塩がつくのは当然なんだけど、なんだかなぁと様子を見にいって、ぎゃーっと言ったのは私である。塩と思っていた白いものはカビだった。
そこからしばらくは梅干し作りはやめていたが、学校に行く娘に持たせる弁当には梅干しが欠かせないため、もうこれで弁当作りも終盤という年に、久々に挑戦した。
今度は7%。酢を使うとカビが生えにくいらしい。レシピより気持ちたくさん酢を入れて、塩分は控えめにして。まあ上手くできた。カビも生えず。その年の弁当に入れる分は賄えた。
実家ではそれこそ、数年来、つけられたままの梅干しのツボが台所で眠っている。次の夏が来たらきっと干そう。
日本時間の2024年12月5日、日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されたそうだ。発酵と腐敗は紙一重のようである。そして、わが家では、白いものを纏った梅干しの話は十数年来の語り草となっている。
滋賀学習センター機関誌「樹滴」第134号(2025年1月発行)より掲載