井上 容子
放送大学奈良学習センター所長
人の目は、光刺激に応じて瞳孔の大きさと網膜の感度を変えます。この2つの調節機能によって、星あかり(10-3 lx)から太陽直射光(105 lx)までの広範囲な光強度に適切に応答できます。これはとても凄いことで、こんなに巾広い光応答を、感度変換フィルターなしで実現する光計測器は未だ開発されていません。
明るいところでは、目の感度は低くなり、光によるダメージを軽減します。暗いところでは、感度は高くなり、物を見る(明るさを識別する)機能を維持します。これを順応といいます。急に明るくなったとき一瞬眩しく感じるが直ぐに慣れる、暗がりに目が慣れるのには少し時間がかかる、という経験があると思いますが、これが順応です。
ここで、疑問が生じませんか? 例えば、印刷文字は「明るいと見やすく、暗いと見にくい」ですね。「明るいと感度は低く、暗いと高い」に一見矛盾しています。これは、照明からの反射光によって文字を見ているからです。文字と背景の輝度差(物理的な明るさの差)はそれぞれの反射率に依存するため、照明が明るい(光量が多い)と輝度差が大きくなります。その増加が明るさを識別する目の感度の低下を上回るため、感度が低くなるにも拘わらず明るいところで文字は見やすいのです。暗い場合は、この逆の現象のために、感度が高くなるにも拘わらず見にくいのです。従って、暗くなることによる文字と背景の輝度差の低下をコントロールすれば、暗くても文字の見やすいストレスのない環境が実現できます。
また、順応には時間がかかります。特に、暗さに目が慣れるには時間が必要です。災害時に停電が発生した場合、避難のために、非常用照明によって床面での直接水平面照度1.0 lx(地下通路の場合は10 lx)を30分以上確保することが建築基準法で定められています。しかし明るい環境(反射率0.6の壁面照度500 lx)に目が慣れている状態から、いきなり照度が1.0 lxに低下すると、避難に必要な床面(反射率0.3)での探索視力が例えば0.3に回復するまでに、若齢者では約10秒、高齢者では約15秒が必要です。その間の見えの不自由さから、パニックなどによる二次災害が生じかねません。しかし、停電直後は100 lx程度の高い照度で点灯させ、その後、順応の時間特性に沿って目標照度1.0 lxまで漸減させると視力0.3に達する時間は大幅に短縮され、それぞれ約2秒と約4秒になり、無事に避難できる可能性が極めて高くなります。 これらの目の順応特性は、見えの確保と目のダメージを防御する自律機能として備わっているため、自分の意志ではコントロールできません。そのため、誰もができるだけ自立して暮らせる安全で快適な生活環境の実現には、順応に対応できる視環境の随時適正化機能が必要なのです。随時の適正化は難関でしたが、今日の情報技術のめざましい進歩によって実現可能となりつつあります。
奈良学習センター機関誌「芳藻」第124号(2024年9月発行)より掲載
公開日 2024-12-20 最終更新日 2024-12-20