【学習センター機関誌から】さわってないのにわかったつもり?

村松 俊夫
放送大学山梨学習センター所長

人が外界からの刺激を受け取る知覚は、一般に視覚(眼)、聴覚(耳)、嗅覚(鼻)、味覚(舌)、触覚(皮膚)の五感(五官)に分類されます。現代社会は、その中でも特に視覚(映像)と聴覚(音声)が優先され、次いで「〇〇グルメ」などに代表されるように、味覚(味)と嗅覚(香り)が続くのでしょう。最後の“触覚”は、あまりにも当たり前すぎるということや言語化がむずかしい面もあり、深く掘り下げられたり多く取り上げられることはありません。

しかしながら、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、五感の中で“触覚”を最も重視し、「感覚のうちの第一のものとしてすべての動物にそなわる」といいました。また近代の日本では、『智恵子抄』などの詩で有名な彫刻家高村光太郎が、すべての感覚が“触覚”と結びついており、自分は「五官の境界がはっきりしない」と述べています。少々長くなりますが、彼の『触覚の世界』(1928)と題する原稿用紙10枚余のエッセイから抜粋して下に引用します。

高村光太郎(1883~1956)
写真提供:
花巻高村光太郎記念会

私にとって(この)世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、しかも()れだからいちばん根源的なものであると言える。(略)

色彩が触覚なのは当りまえである。光波の震動が網膜を刺戟(しげき)するのは純粋に運動の原理によるのであろう。絵画に於けるトオンの感じも、気がついてみれば触覚である。(略)

音楽が触覚の芸術である事は今更いう迄もないであろう。私は音楽をきく時、全身できくのである。音楽は全存在を打つ。(略)

嗅覚(きゅうかく)とは生理上にも鼻の粘膜の触覚であるに違いない。だから聯想(れんそう)的形容詞でなく、厚ぼったい匂や、(略)やけどする匂があるのである。(略)

味覚はもちろん触覚である。甘いも、辛いも、酸いも、あまり大まかな名称で、実は味わいを計る真の観念とはなり難い。キントンの甘いのはキントンだけの持つ一種の味的触覚に過ぎない。(略) 註1)

このように、彼は色彩、音楽、香り、味も“触覚”であるといっています。そして、五官は互に共通しているというよりも「殆ど全く触覚に統一せられている」とまでいっています。

実は、このエッセイの存在を『触楽入門』という本で知りました。触覚と身体感覚に関わる研究や、その活用法の提案に携わる4人の研究者が、触(ふ)れることのおもしろさを紹介し、最先端の触覚テクノロジーもわかりやすく解説してくれています。そして、“触覚”とは、すべての感覚の「交差点」であり「基盤(下支え)」であると説いています。

高度に情報化された現代社会では、タッチパネルやキーボードに触れると、すぐさま視覚や聴覚を通して必要な情報を受け取ることができます。このため、“本来の触覚”のありがたみをますます感じにくくなってきているのではないでしょうか。“実際に触れる”ことで得られる情報の豊かさを再認識できれば、この世界の広がりをもっともっと感じられることでしょう。

『触楽入門』テクタイル
(仲谷正史、筧康明、三浦総一郎、南澤孝太)
株式会社 朝日出版社(2016)

註1)青空文庫( http://www.aozora.gr.jp/ )より抜粋
入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2006年11月20日作成
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館 1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行


山梨学習センター機関誌「おいでなって」第89号(2023年7月発行)より

公開日 2023-10-24  最終更新日 2023-10-24

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