【学習センター機関誌から】『丁寧語「侍(はべ)り」はいつ発生したか? 』

大阪学習センター 客員教授 宮川 久美

「侍り」(はべり)は、もともとは貴人のおそばに伺候するという意味の動詞です。
そこから,実際に貴人のそばに伺候していなくても「尊者の支配のもとに存在する」と表現する謙譲表現が生まれました。
丁寧語に変化した「侍り」の出現は 900 年前後とされ『竹取物語』の「燕は巣くひ侍る」や「駿河の国にある山なん、この都も近く、天も近く侍る」、『古今和歌集』詞書の「さくらの花の散 り侍はべりけるを見てよみける」の「侍り」がその例とされることが多いですが、これらすらも後世の書写段階の混入であり、もっと遅いと考えている研究者もいます(森山由紀子氏)。
けれども、正倉院文書の中に残っている 763 年に書かれた手紙の中に丁寧語の「侍り」の例があります。
石山寺の僧正美から奈良の下道しものみち主ぬしにあてた手紙です。


謹通 下案主御所
奉別以来、経数日、恋念堪多、但然当此節、摂玉体耶可、但下民僧正美者、蒙
恩光送日如常、但願云可日、玉面参向奉仕耶、
一 佐官尊御所申給、勢多庄北辺地小々欲請、又先日所進大刀子、若便使侍者、
付給下耳、若无、後日必々請給、
春佐米乃 阿波礼
天平宝字六年潤十二月二日
下僧正美謹状
(続修別集48断簡10 5/328~329)


謹んで下の案主の御所にお手紙を差し上げます。
お別れして以来数日を経て恋しい思いでいっぱいです。この時節、お元気でいらっしゃいますか。
拙僧正美はおかげさまでいつも通りの日々を送っております。是非またお目にかかりたいものと存じます。
一 主典様に申し上げてくださって、瀬田庄の北あたりの土地を少々わけていただきたいと思います。
また先日お貸しいたしました大刀子ですが、もし便使がございましたら、それに託してください。
もし無ければ、後日、必ず必ずうけとらせていただきとうございます。
はるさめの あわれ
天平宝字六年潤十二月二日
下僧正美謹んでお手紙さしあげます


「下案主しものあんず」 は下道主(しものみちぬし)のこと。
下道主しものみちぬしは石山寺造営の仕事を通じて石山寺の正美と親しくしており、「大刀子」(大きなナイフ)を貸していたらしい。
石山寺完成後、道主は 12 月の中頃までに奈良に帰り、その半月ほど後の書状です。
「便使」とはちょうどこちらに来るついでの使いのこと。
その使いに託してお返しくださいとお願いしています。
「もし有らば」「もし無くは」でいいのですが、丁寧に言うため、「もし侍らば」=「もしございましたら」と言ったのです。
ほかにも、安都雄足あとのおたりが少僧都慈訓しょうそうずじきんの所にあてた手紙の中に、「依侍雄足障故、不得専参向」(続々修4 ノ 21 断簡(1) 16/105~107)(雄足は差し支えがございますので参り伺うことができません)のような例があります。
雄足は、目上の人でなければ、「障さわりあり」と言いますが、相手が慈訓なので「障侍り」と言ったのです。
このようなことから「侍り」の丁寧語化は、早く奈良時代から始まっていたと言えるでしょう。


奈良学習センター 機関誌「芳藻」第112号より

公開日 2021-11-19  最終更新日 2022-11-08

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